エリック・ロメール『満月の夜』ー「自由に生きたい」と願った女が、自由になった瞬間に

『満月の夜(Les Nuits de la pleine lune)』は、
1984年に発表された
エリック・ロメールの監督作です。

『飛行士の妻』『美しき結婚』
『海辺のポーリーヌ』に続く、
「喜劇と格言劇(Comédies et Proverbes)」シリーズ
第4作
。

主演はパスカル・オジエ、
共演にティエリー・カリョ、ファブリス・ルキーニ。
上映時間は約1時間42分です。

そして、
この作品にはロメール映画の中でも、
とりわけ印象的な「格言」が掲げられています。

Qui a deux femmes perd son âme,
qui a deux maisons perd la raison.

二人の女を持つ者は魂を失い、
二つの家を持つ者は理性を失う

実はこの格言、
伝統的なことわざを
そのまま引用したものではなく、
ロメール自身が作った
“偽のシャンパーニュ地方の格言”です。

しかも面白いことに、
この格言を体現するのは
「二人の女を持つ男」ではありません。

一人の女、ルイーズです。

彼女は二つの家を持ち、
二つの生活を行き来し、
二つの自由を手に入れようとする。

そして、
その「自由」が
彼女自身を追い詰めていく――。

ここに、
『満月の夜』という映画の
恐ろしく巧妙な喜劇があります。

 



『満月の夜』のあらすじ

私はあなたを愛している。
でも、一緒に暮らしたくない

主人公はルイーズ。
パリでデザインを学んだ若い女性で、
恋人レミと郊外の
マルヌ=ラ=ヴァレで暮らしています。
二人は愛し合っています。
満月の夜 ロメール 映画
しかし、
ルイーズには一つ大きな不満がある。

郊外で恋人と一緒に暮らす生活が、
どうにも息苦しいのです。

レミは典型的な
「一緒にいること」を愛する男。

一方、
ルイーズは、
「愛しているからこそ、時々一人になりたい」
と考えます。

彼女はパリのアパートを持っている。

そこで、

  • 一人で過ごす
  • 友人と夜遊びする
  • クラブへ行く
  • 朝まで街にいる
  • 恋人とは別々の時間を持つ

そんな生活をしたい。

つまりルイーズが欲しいのは、
「恋愛を捨てる自由」ではなく、
「恋愛しながら自由でいる権利」

なのです。

「二つの家」を持つという実験

ルイーズはレミに、

ルイーズ

パリの部屋を
自分のために使いたい

と話します。

レミは当然、不安になります。

レミ

二人で暮らしているのに、
なぜ別の家が必要なんだ?

 

しかしルイーズにとっては、
二人で暮らしていることと、
一人の時間を持つことは矛盾しない。

むしろ、

一人の時間があるからこそ、恋人をもっと愛せる。

そう考えている。

この考え方は、
現代の「個人の自由」を重視する
恋愛観にも通じるものがあります。

そしてルイーズは、
実際にパリのアパートを
「もう一つの家」として使い始めます。

ルイーズの夜の生活

パリに出てきたルイーズは、
夜の街へ繰り出します。

そこで彼女の友人であり、
彼女に好意を持っている
オクターヴが登場します。
満月の夜 ロメール 映画
演じるのは、
若きファブリス・ルキーニ。

このオクターヴが実に面白い。

知的で、よくしゃべる。

恋愛についても、
人生についても、
とにかく理屈を語る。

しかし、
どこか自意識過剰。

そしてルイーズにとっては、
一緒に夜遊びしてくれる便利な男友達
という側面もあります。

彼女は
オクターヴの気持ちを知りながら、
完全には応えない。

しかし、
彼をそばに置く。

なぜなら彼がいると、
自由な夜の生活
を楽しめるからです。

ここから、
ルイーズの「自由」が
少しずつ危うくなっていきます。

ルイーズは自由なのか、
それとも人を利用しているのか?

ここが映画の
面白いところです。

ルイーズは、

ルイーズ

私は誰にも縛られたくない

と言います。

しかし、
彼女の自由は完全に一人で
成立しているわけではありません。

レミが待ってくれる。

オクターヴが付き合ってくれる。

そして他の男性も
彼女に関心を示してくれる。

つまり、
他人の好意によって支えられた
「自由」

なのです。

本人は自由を謳歌しているつもりでも、
周囲の人間は少しずつ傷ついていく。

そして、別の男バスチアンが現れる

ある夜、
ルイーズは
ミュージシャンのバスチアン
と出会います。
満月の夜 ロメール 映画
彼女は彼と一夜を過ごします。

しかし、
ここがロメールの巧いところ。

これは単純な
浮気してしまった女
の話ではありません。

むしろルイーズにとって、
自分は自由なんだから、こういうこともある
という程度の出来事なのです。

彼女は翌朝、
レミとの生活へ戻ろうとします。

そして、
やっぱり私はレミが好きなのだ
と気づいたように見える。

ところが――。

今度はレミの側に変化が起きていた

ルイーズが自由を満喫している間に、
レミの気持ちにも変化が生じていました。

彼は別の女性、
カミーユに惹かれていたのです。

そしてルイーズが、
あなたは私を愛しているでしょう?
という前提で戻ってきたとき、

レミはもはや以前と同じではない。
満月の夜 ロメール 映画
ここで、映画の構造が反転します。

それまで、
レミがルイーズを失うのではないか
と観客は考えていた。

ところが実際には、
ルイーズのほうがレミを失う
ことになる。

しかも、
彼女自身が望んでいた
「自由」を実践している間に。

この逆転こそ、
『満月の夜』の最大の皮肉です。

 



テーマ
「自由」と「愛」は両立するのか?

この映画の中心にあるのは、
恋愛において、どこまで自由でいられるのか?
という問題です。

ルイーズは自由を求めています。

しかしロメールは、
「自由であることは素晴らしい」
とも、
「自由な女性は間違っている」
とも言いません。

そこが重要です。

むしろ、
「自由を求めることには、必ず代償がある」
と描いている。

ルイーズは悪女ではない

ルイーズを
「浮気性の女性」
とだけ見ると、
この映画の面白さを取り逃がします。

彼女はレミを愛している。

ただし、
レミと同じ方法では愛していない。

レミは、

「愛するなら一緒にいたい」

と考える。

ルイーズは、

「愛していても、一人でいたい」

と考える。

つまり二人は、
愛情の量が違うのではなく、
愛情の形が違う。

1984年当時の批評でも、
本作の核心を
「二人の人間そのものが
相容れないのではなく、
二人の“愛の形”が相容れない」
と捉える見方があります。

これは非常に重要です。

「一緒にいること=愛」ではない

ロメールは、
恋愛映画でありがちな、

本当に愛しているなら、
ずっと一緒にいたいはず

という考え方を疑っています。

ルイーズは違う。

一人の時間が欲しい。

夜遊びもしたい。

友人とも過ごしたい。

パリの生活も捨てたくない。

だからといってレミを
愛していないわけではない。

むしろ、

愛しているからこそ、
自分自身の自由も失いたくない

と考えている。
満月の夜 ロメール 映画
これは1980年代の都市生活者、
とりわけ若い女性の
新しい生き方を映した作品
としても興味深いところです。

ロメールはこの映画で、
結婚せずに同居するカップルという
当時として新しい恋愛・生活の形
も描いています。

しかし「自由」は相手にも
与えなければならない

ここでルイーズ自身の
矛盾が露呈します。

ルイーズは、
私には自由が必要
と言う。

では、
レミにも自由がある
ことを
本当に受け入れられるのか?

ここがポイントです。

彼女は、
「レミは私を愛している」
という安心感を持ったまま、
自分だけ自由になろうとしていた。

ところが
レミにも自由がある。

彼が別の女性を好きになる
自由もある。

それを知った瞬間、

ルイーズは激しく動揺する。

つまり彼女は、
「自分の自由」は欲しいが、
「相手の自由」は怖い。

この矛盾が、
彼女自身を破綻させます。

 



では、どこが「喜劇」なのか?

『満月の夜』は、
実はかなり笑える映画です。

ただし、
爆笑するような
コメディではありません。

ロメールの喜劇は、
「人間が自分の理屈に振り回される姿」
を笑う
ものだからです。

喜劇① ルイーズの「自由の理論」

ルイーズは、
自分の考えを
理路整然と説明します。

ルイーズ

私が一人で過ごしたいのは、
あなたを愛していないからじゃない

ルイーズ

むしろ一人の時間があるから、
あなたを愛せる

一見すると、
ものすごく合理的。

しかし、

じゃあ、
レミが同じことをしたら?

となった途端、
話が変わってくる。

ここが笑いです。

ルイーズの理論は、

自分に適用すると完璧なのに、
相手に適用すると耐えられない。

 

 

喜劇②
オクターヴの「恋愛評論家」ぶり

ファブリス・ルキーニ演じる
オクターヴも、
ロメールらしい喜劇の中心人物です。

彼は恋愛について語る。

女性について語る。

ルイーズについて語る。

自分の感情について語る。

とにかく、
しゃべる。

ところが、
その言葉の多さとは裏腹に、
恋愛の現実には弱い。

これは
『海辺のポーリーヌ』の
「しゃべりすぎる大人たち」
ともつながります。

『満月の夜』では、
「恋愛を語ること」と
「恋愛すること」のズレ

が笑いになっているのです。

 

喜劇③
観客が「次はこうなる」と
予想してしまう

『満月の夜』の巧妙なところは、
観客自身を喜劇に巻き込むことです。

「レミは怒るだろう」

「ルイーズは寂しくなるだろう」

「オクターヴと何か起こるだろう」

「この二人は別れるだろう」

……。

観客も勝手に未来を予想します。

ところが、
ロメールはその予想を
少しずつ裏切る。

『ル・モンド』の当時の批評も、
映画がごく小さな出来事を材料に、
観客を「これは成功する」
「いや、失敗する」と予想させながら、
心理の罠に巧みに引き込んでいくことを
指摘しています。

つまり、
登場人物だけでなく、
観客まで恋愛の
“素人評論家”にされてしまう。

これが実に面白い。

 



そして、格言は何なのか?

先ほど紹介した、

Qui a deux femmes perd son âme,
qui a deux maisons perd la raison

です。

日本語なら、

二人の女を持つ者は魂を失い、
二つの家を持つ者は理性を失う

という意味。

この格言の後半、
二つの家を持つ者は理性を失う
は、まさにルイーズそのものです。

彼女は、
郊外の家+パリのアパート
という二つの生活を持とうとする。

 

「二つの家」は、
実は「二人のルイーズ」

ここからが深いところです。

二つの家とは、単なる不動産の話ではありません。

ルイーズは、

  • レミと暮らす
  • 恋人として安定した生活を送る
  • 家庭的な生活

と、

  • 夜遊びする
  • 一人でいる
  • 友人と過ごす
  • 自由な恋愛を楽しむ

という、

二つの自分

を同時に生きようとしている。

つまり、

「二つの家を持つ」=「二つの人生を持つ」

ことなのです。

そして「二人の女」は誰なのか?

ここも面白い。

格言は、
「二人の女を持つ者」
と言っています。

普通なら、
男性が二人の女性と
浮気する話を想像します。

しかし、
この映画ではルイーズが中心。

つまりロメールは、

男女を逆転させている。

さらに解釈を進めれば、

ルイーズの中に、
「レミを愛する女」と「自由を愛する女」
という二人のルイーズがいる、
と見ることもできます。

だからこの格言は単なる
「浮気するな」という道徳ではありません。

一人の人間の中に複数の欲望が存在するとき、
それを同時に満たそうとするとどうなるのか?

という問いになっています。

 

「格言」は正しいのか?

ここもロメールの重要なところです。

映画を見終わると、
「確かに、二つの家なんて持つからだ」
と思うかもしれません。

しかし、
本当にそうでしょうか?

ルイーズが
一つの家だけで暮らしていれば、
幸せだったのでしょうか。

そうとも限りません。

彼女はレミと暮らしていても、
やはり自由を欲しがったでしょう。
満月の夜 ロメール 映画
つまり格言は、
「こうすれば幸せになれる」
という答えではありません。

むしろ、
「人間の欲望には矛盾がある」
ということを、
ことわざの形で
皮肉に提示しているのです。

 

ロメールは「自由な女性」を批判しているのか?

ここは誤解しやすいところです。

『満月の夜』を、

自由を求めた女性が罰を受ける映画

とだけ読むのは少し単純です。

ロメール自身は
ルイーズを道徳的に
断罪していません。

 

むしろ、

自由を求めること自体は悪くない。
しかし自由には相手の自由も含まれる

という複雑な問題を描いている。

だからルイーズは
「悪女」ではありません。

彼女は、
自分の欲望と、他人の欲望を
同時に受け入れることが
できなかった女性

なのです。

 



『満月の夜』の本当のテーマ
「愛されすぎること」が苦しい

ルイーズには
非常に印象的な
性格があります。

彼女は、
愛されすぎること
を嫌う。

相手から強く求められると、
逃げたくなる。

しかし、
愛されないことには
耐えられない。

この矛盾こそ
彼女の核心です。

つまり、

「近すぎると逃げる。
遠すぎると追いかける。」

という人物なのです。

これは恋愛における
非常に普遍的な心理
ではないでしょうか。

だからルイーズは、
愛を求めているのに、
愛が近づくと自由を求める

という矛盾を抱えています。

そしてロメールは、
その矛盾を解決してあげません。

ただ、最後まで見せる。

 



パスカル・オジエの存在が、
この映画を特別なものにしている

そして、
この作品を語るうえで
絶対に外せないのが、

パスカル・オジエ

です。

彼女が演じるルイーズは、
従来の「恋愛映画のヒロイン」
と少し違います。

華やか。

自由奔放。

軽やか。

しかし、
その奥には不安がある。

強そうに見えて、
実は非常に傷つきやすい。

そして彼女の表情には、
「自分は間違っていない」
と信じたい気持ち

と、
「本当は誰かに愛してほしい」
という気持ち

が同時に存在しています。

オジエはこの役で
1984年ヴェネツィア国際映画祭の
女優賞を受賞しました。

残念ながら彼女は同年、
25歳という若さで亡くなっています。

そのため『満月の夜』は、
現在では
単なるロメール作品というだけでなく、
パスカル・オジエの最も鮮烈な代表作
としても見られています。

 



80年代パリの夜が
もう一人の主人公

『満月の夜』という
タイトルだけあって、
この映画は「夜」が重要です。

パリのクラブ。

バー。

カフェ。

街灯。

夜の道路。

そして、
朝まで遊ぶ若者たち。

音楽を担当するのは
エリ&ジャクノ。

ロメールのそれまでの作品とは少し違う、
1980年代ニューウェーブの都市的な感覚が
映画全体に漂っています。

フランス国立映画図書館も、
本作を「1980年代のパリの空気を濃縮した作品」とし、
パスカル・オジエが衣装や美術、
音楽、ロケーションにも
関わったことを紹介しています。
満月の夜 ロメール 映画
つまり『満月の夜』は、
恋愛映画であると同時に、
1980年代パリの若者文化を
閉じ込めたタイムカプセル

でもあります。

 



なぜ「満月」なのか?

タイトルの「満月」も象徴的です。

満月の夜は、
人間が普段より浮き足立つ時間。

昼間の社会的な自分から少し離れ、
夜の自分になる。

ルイーズもまた、
昼のルイーズと夜のルイーズ
を生きています。

郊外ではレミの恋人。

パリでは自由な若い女性。

この二重生活が、
映画のタイトルにも
重なっているように感じられます。

 



『満月の夜』を
「喜劇と格言劇」として見る

ここまでのシリーズを並べると、
さらに面白くなります。

作品 人間の何が喜劇になるのか 格言
『飛行士の妻』 考えすぎること 「人は何も考えずにはいられない」
『美しき結婚』 未来を勝手に決めること 「誰もがスペインに城を築く」
『海辺のポーリーヌ』 恋愛についてしゃべりすぎること 「しゃべりすぎる者は自らを傷つける」
『満月の夜』 自由を求めながら、相手の自由は恐れること 「二つの女を持つ者は魂を失い、二つの家を持つ者は理性を失う」

こうして見ると、
「喜劇と格言劇」という
シリーズ名が非常に巧妙です。

ロメールは格言を先に提示する。

そして、

では、人間が実際に
この格言どおりに生きたら、
どうなるでしょう?

という実験をする。

『満月の夜』の場合、

二つの家を持った女は、
本当に理性を失うのか?

を実演してみせるわけです。

 

そして最後に、
観客自身が格言を信じたくなる

この映画の
最大の罠はここです。

観客は最初、
ルイーズの生き方もアリだな
と思うかもしれない。

二人で暮らしながら、
自分だけの部屋を持つ。

週末は別々に過ごす。

友達と遊ぶ。

恋人を束縛しない。

一見すると、
非常に現代的です。

ところが最後には、
やっぱり二つの家を持つと……
と格言を信じたくなってくる。

でも、
そこで一歩立ち止まる。

本当に家が二つあったから失敗したのか?

そう考えると、
映画はもっと深くなる。

問題は「二つの家」ではない。

ルイーズが、
自分と相手の自由を同じ基準で
考えられなかったこと。

そこに悲劇の種があったのです。

 



まとめ
『満月の夜』は
「自由な恋愛」の映画ではない

『満月の夜』を一言で表すなら、

自由を愛した女性が、
自由には“相手も自由である”
という恐ろしい条件が
付いていることを知る映画

です。

ルイーズはレミを愛している。

しかし一人でもいたい。

だから二つの家を持つ。

パリでは自由になる。

夜遊びをする。

別の男性とも出会う。

そして、
レミの愛情はいつまでも
自分を待っていてくれると思っている。

ところが、
人間は待ち続けてくれるとは限らない。

レミにも心がある。

レミにも欲望がある。

レミにも、
別の人生を選ぶ自由がある。

その瞬間、
ルイーズの「自由の理論」は崩壊します。

だから、この映画の格言、

二人の女を持つ者は魂を失い、
二つの家を持つ者は理性を失う
は、

浮気するな

という単純な道徳ではありません。

むしろ、

人間は、一つの人生の中に
ある矛盾した欲望を、
全部同時に満たすことができるのか?

という問いなのです。

そしてロメールは、
その問いに答えません。

ただ、
ルイーズを夜のパリへ歩かせる。

クラブへ行かせる。

男たちと話させる。

郊外のレミの家へ戻らせる。

そして再びパリへ向かわせる。

その姿を、
笑いながら、
少し寂しく見つめる。

『満月の夜』は、
だからこそ単なる
「浮気の恋愛映画」ではありません。

自由でありたい。でも愛されたい。
一人でいたい。でも孤独は嫌だ。
相手を束縛したくない。
でも自分は捨てられたくない。

――そんな、
人間なら誰もが抱えている
矛盾を描いた映画です。

そして、
その矛盾をこれほど軽やかに、
洒落た会話とパリの夜景の中に
溶かし込んでしまうところに、
ロメールの凄さがあります。

何より、
パスカル・オジエの
ルイーズを見てほしい。

彼女は自由を
手に入れようとしているのか。
それとも、
愛されることから
逃げようとしているのか。

その答えが、
映画を観終わったあとにも残ります。

『満月の夜』は、
「自由に生きる女性」
の映画であると同時に、
「自由とは何か」を
問い続ける映画
なのです。

満月の夜_エリック・ロメールキャッチコピー
私を愛しすぎないで
24才の若さで急逝した女優
パスカル・オジェが見せる
新しい愛のかたち

満月の夜_エリック・ロメールData

1984年 フランス
監督 エリック・ロメール
出演 パスカル・オジェ
チェッキー・カリョ
ファブリス・ルキーニ
クリスチャン・ヴァディム
予告編

amazon プライムビデオでも配信中

エリック・ロメールfilmography
エリック・ロメール

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