
『美しき結婚(Le Beau Mariage)』は、
エリック・ロメールが1982年に発表された作品です。
『飛行士の妻』に続く
「喜劇と格言劇(Comédies et Proverbes)」シリーズの
第2作で、
主演は
ベアトリス・ロマン、
アンドレ・デュソリエ、
アリエル・ドンバール。
1982年の
ヴェネツィア国際映画祭コンペティション
にも出品されました。
物語の主人公は25歳の女性サビーヌ。
彼女はある日、
「もう不倫相手になるのは嫌。私は結婚する」
と突然決意します。
問題は――
結婚したい相手が、
まだ存在していないこと。
ここからロメール特有の、
可笑しくて、
少し意地悪で、
しかし
最後には妙に
人生を考えさせられる
恋愛喜劇が始まります。
『美しき結婚』のあらすじ
私は結婚する。でも、誰と?
サビーヌはパリで美術史を学ぶ
25歳の女性。
一方で
ル・マンでは
アンティークショップで働いています。

彼女には画家シモンという恋人がいます。
しかしシモンは既婚者。
つまりサビーヌは
「愛人」という立場にいるわけです。
ある夜、
二人がシモンのアトリエで一緒にいると、
突然、彼の妻から電話がかかってきます。
その瞬間、
サビーヌの中で何かが切れる。
「こんな関係はもう嫌だ」
彼女はシモンとの関係を終わらせます。

そして驚くべき決断をする。
「私は結婚する」
ところが、
ここでロメールらしい
問題が発生します。
サビーヌは、
「誰と結婚するか」
をまだ決めていない。
いや、それどころか、
相手がいなくても
結婚することだけは決められる
と思っているのです。
結婚相手は、あとから探せばいい
サビーヌは
親友クラリスに、
「私は結婚する」
と宣言します。
クラリスはサビーヌの考えを聞き、
ある男性を紹介します。

それが、
エドモン
35歳の独身弁護士。
知的で、
経済的にも余裕があり、
感じもいい。
しかも独身。
サビーヌから見れば、
まさに、
「理想の結婚相手」
に見えます。
そしてサビーヌは、
ほとんど一瞬で決めてしまう。
「この人と結婚する」
ここが、
この映画最大の可笑しさです。
普通なら、
「この人を好きになった。だから付き合いたい」
という順番でしょう。
ところがサビーヌの場合は逆。
「結婚したい」
「では誰と?」
「この人がいい」
「じゃあ結婚する」
となる。
まるで人生の重大な出来事を、
ショッピングのように決めてしまう。
しかし、エドモンにはその気がない
もちろん、
ここで問題が発生します。
サビーヌが
「この人と結婚する」と決めても、
エドモン本人は何も決めていない。
サビーヌは彼を
自分の誕生日パーティーに招待したり、
母親に紹介したり、
少しずつ結婚へのレールを敷いていきます。
しかしエドモンは、
サビーヌが期待するようには動いてくれない。
電話にもなかなか出ない。
会おうともしない。
そしてついにサビーヌは、
エドモンの法律事務所へ直接押しかけます。

そこで二人は、
「あなたは私と結婚するつもりなんでしょう?」
というところまで踏み込んだ話をすることになります。
しかしエドモンの答えは、
サビーヌの期待とは違う。
彼は自分の独立した生活を大切にしている。
サビーヌが一人で組み立てた
「美しい結婚計画」に、
彼は参加してくれないのです。
そしてサビーヌは気づく
ここが、
この映画の重要なところです。
サビーヌは当初、
「私は結婚すると決めた」
と言っていました。
つまり、
自分の意志さえあれば
結婚できると思っていた。
しかし結婚は、
一人ではできません。
自分が
「この人と結婚する」と決めても、
相手が
「この人と結婚したい」と
思わなければ成立しない。
サビーヌはそこで初めて、
「結婚する」という決断と、
「誰かを愛する」という感情は、
別のものなのだと突きつけられます。
『美しき結婚』のテーマ
人生は自分の意志だけでは決められない
この映画の核心は、
「自分の人生を自分で決める」とは、
いったいどういうことなのか?
という問題です。
サビーヌは、
とても現代的な女性です。
彼女は、
「私はこう生きたい」
と自分で決める。
他人の価値観に従いたくない。
だから
「結婚しない」という選択ではなく、
「私は結婚する」と自分で決める。
一見すると、
ものすごく主体的です。
しかしロメールは、
その主体性を少しずつ崩していきます。
「結婚する」は
一人で決められるのか?
サビーヌは、
私が決めれば実現する
と考えています。
ところが結婚は、
二人の意思が必要です。
ここにロメールの
皮肉があります。
仕事なら、
「私は会社を辞める」
と自分一人で決められる。
引っ越しも、
「私は引っ越す」
と自分で決められる。
しかし、
「私はあなたと結婚する」
だけは、
自分一人では決められない。
この当たり前のことを、
サビーヌは身をもって知ることになる。
「理想の結婚」と
「理想の相手」は別物
さらに面白いのは、
サビーヌが最初から、
「結婚」という制度・生活の形
を求めていることです。
「誰かを好きになったから結婚したい」
ではない。
むしろ、
「結婚したいから、相手を探す」
なのです。
だからエドモンも、
「自分が好きになった男性」
というより、
「条件に合った男性」
として選ばれます。

しかし
人間は条件表ではありません。
相手には相手の人生がある。
相手の欲望がある。
相手の自由がある。
そして当然、
相手が自分を好きになるかどうかは、
自分では決められない。
ここに『美しき結婚』の
恋愛論があります。
制作意図
「道徳」ではなく、人間の思い込みを笑う
ロメールは
「こういう女性は間違っている」
と説教しているわけではありません。
むしろ、
サビーヌの強烈な思い込みを、
そのまま映画にしてしまう。
彼女は、
「私は自分の人生を自分で決めている」
と思っている。
しかし観客には
「いや、かなり周囲に影響されてない?」
ということも見えてくる。
親友クラリスからエドモンを紹介され、
彼の社会的な立場や生活環境にも惹かれ、
「理想の結婚」を具体化していく。
つまりサビーヌは
完全に自由な存在ではない。
社会、友人、階級、生活環境、恋愛観――
そうしたものに影響されながら、
「私は自分で決めた」
と思っている。
このズレが非常にロメール的です。
「喜劇と格言劇」の
「喜劇」はどこにあるのか?
ここが『飛行士の妻』との大きなつながりです。
『飛行士の妻』では、
何も起きていないのに、
主人公が勝手に事件を作ってしまう
ことが喜劇になっていました。
『美しき結婚』では、
まだ結婚相手でもない
男性との結婚生活を、
主人公が勝手に始めてしまう
ことが喜劇になります。
これが実に可笑しい。
サビーヌは「未来の夫」を現在にしてしまう
サビーヌの頭の中では、
「エドモンと結婚する」
という未来が、
ほとんど決定事項になっています。

だから、
誕生日に呼ぶ。
母親に会わせる。
友人に話す。
結婚後の生活まで想像する。
ところが当のエドモンは、
「え? 僕が?」
という状態。
この温度差が凄まじい。
観客はサビーヌの
真剣な行動を見ながら、
「まだ何も始まってないよ!」
とツッコミを入れたくなる。
これがロメールの喜劇です。
「笑わせよう」としていないのに、
笑ってしまう
ロメールの喜劇は、
ギャグ映画とは違います。
登場人物たちは本気です。
サビーヌも本気。
エドモンも本気。
クラリスも本気。
誰も観客を笑わせようとしていない。
それなのに、
本人たちがあまりにも
真面目だから笑ってしまう。

この「真面目さの滑稽さ」が
ロメールの喜劇の魅力です。
批評でも、
本作は日常的な出来事を
「魅惑的なエネルギー」で満たし、
鋭い脚本と人物造形によって
軽い物語から豊かな意味を
引き出していると評価されています。
そして「美しき結婚」という
タイトル自体が皮肉
ここも重要です。
原題は、
Le Beau Mariage
直訳すれば、
「美しい結婚」「素晴らしい結婚」
です。
ところが、
映画の中でその「美しい結婚」は
成立しません。
つまり、
「美しき結婚」を夢見た女性の物語なのに、
その結婚は存在しない。
タイトルからして、
すでにロメールのユーモアになっています。
では「格言」は何なのか?
この映画の冒頭に置かれる格言は、
ラ・フォンテーヌの
『牛乳売りの女と牛乳壺』から取られた、
Quel esprit ne bat la campagne ?
Qui ne fait châteaux en Espagne ?
です。
意味としては、
空想にふけらない人がいるだろうか?
誰がスペインに城を築かないだろうか?
といったものです。
日本語で分かりやすく言えば、
人間は誰だって、
まだ存在しない未来を夢想してしまう
ということです。
この格言がサビーヌそのもの
サビーヌはまさに、
「スペインに城を築いている」
女性です。
まだエドモンと恋人ですらない。
なのに、
「この人と結婚する」
と決める。
つまり、
現実
「エドモンという独身男性と一度会った」
↓
サビーヌの頭の中
「この人は理想の夫」
↓
「結婚する」
↓
「素晴らしい結婚生活になる」
という具合に、
現実から未来へ、
一気に飛躍してしまう。
これが
「スペインに城を築く」
ということです。
「格言」は、
サビーヌを笑うためだけのものではない
しかし、
ここがロメールの
優しいところです。
観客はサビーヌを見て、
「この人、妄想しすぎじゃない?」
と笑います。
でも、よく考えると――
私たちだって同じです。
恋愛だけではありません。
「この仕事が成功したら……」
「この人と付き合ったら……」
「この家を買ったら……」
「将来はこうなる……」
人間は常に、
まだ存在しない未来を
頭の中に作って生きています。
だから
ラ・フォンテーヌの格言は、
「サビーヌは馬鹿だ」
という意味ではありません。
むしろ、
人間とは、
そもそもそういう生き物なのだ
ということなのです。
「美しき結婚」の本当の面白さ
サビーヌは妄想から現実へ戻れるのか?
物語の終盤、
サビーヌはエドモンに拒まれ、
自分の計画が崩れます。
そして彼女はクラリスに、
「結婚を抽象的に決めることはできない」
という現実を認めるようになります。
これは単なる失恋ではありません。
サビーヌにとって、
私はこうすると決めれば、
人生はその通りになる
という考え方が崩れる瞬間です。
そして映画の最後、
列車の中で彼女は
一人の若い男性に目を向けます。
ここが非常にロメールらしい。
「計画」から「偶然」へ
それまでのサビーヌは、
「結婚する相手を探す」
という計画を立てていました。
しかし
最後に彼女の前に現れるのは、
計画して選んだ男性ではありません。
偶然目に入ってくる男性です。
つまり映画は、
「理想の人生を設計する」
ことから、
「現実に出会った人間との関係を受け入れる」
ことへ、サビーヌを戻していく。
この結末を、
単なる「失敗」と見る必要はありません。
むしろ、
スペインに築いた城が崩れたからこそ、
現実の世界が見えてきた
とも考えられます。
ロメールは「恋愛」を描いているようで、
「人間の思考」を撮っている
『美しき結婚』を
単なる恋愛映画として見ると、
「サビーヌが男に振られる話」
に見えてしまいます。
しかし本当の主題はもっと面白い。
それは、
人間は現実を生きながら、
頭の中では別の人生を生きている
ということです。
サビーヌは現実のエドモンより、
「自分が作り上げた理想のエドモン」
に恋をしている。
だから彼女の恋愛は、
最初から現実と少しずれている。
そしてそのズレが、
笑いになる。
まとめ
『美しき結婚』は
「結婚できなかった女」の映画ではない
『美しき結婚』を一言で表すなら、
人生を自分で決めようとした女性が、
自分一人では決められないものの存在に
気づく映画
です。
サビーヌは、
「私は結婚する」
と決断する。
そして
理想的な相手を見つける。
しかし、
恋愛も結婚も、
一人の意思だけでは成立しない。
その当たり前の現実を、
ロメールは説教ではなく、
ユーモアで見せます。
そして映画を貫く
ラ・フォンテーヌの言葉、
「誰もがスペインに城を築く」
という格言が、
サビーヌの姿に重なります。
彼女は妄想する。
計画する。
未来を先取りする。
そして、
その未来が崩れる。
しかし――
未来が崩れた瞬間、
現実の人生が始まる。

ここに『美しき結婚』の魅力があります。
『飛行士の妻』が、
「考えすぎる人間」の喜劇だったとすれば、
『美しき結婚』は、
「夢を決めすぎる人間」の喜劇。
そしてどちらにも共通するのは、
人間は、現実そのものよりも、
現実について頭の中で作った物語に
振り回される
というロメールの鋭い人間観察です。
だから『美しき結婚』は、
結婚映画というより、
「人間はどうやって自分の人生を
物語にしてしまうのか」を描いた映画
として見ると、
ぐっと面白くなります。
Data
| 1981年 | フランス |
| 監督 | エリック・ロメール |
| 出演 | ベアトリス・ロマン アンドレ・デュソリエ アリエル・ドンバール フェオドール・アトキン |
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