
『エクスカリバー』は、
アーサー王伝説を題材にした映画の中でも、
ひときわ異色の作品である。
通常ならば、
アーサー王、円卓の騎士、
マーリン、ランスロット、
グィネヴィア、聖杯といった物語を、
英雄的で華麗な中世ファンタジーとして
描くところだろう。
しかし
ジョン・ブアマン監督は、
それとは少し違う道を選んだ。
彼が描いたアーサー王伝説は、
英雄たちが活躍する「歴史劇」というよりも、
人間の欲望、愛、権力、罪、
死、再生をめぐる神話劇である。
深い霧、
緑に覆われた森、
銀色に輝く甲冑、
燃え上がる炎、
魔術、血、
そしてワーグナーの音楽。
『エクスカリバー』には、
現実の中世を再現しようという発想よりも、
「神話とはこういうものではないか」という
ブアマン独自の幻想世界が存在している。

そのため本作は、
公開当時から「傑作」と
「大げさで混乱した映画」という
正反対の評価を受けてきた。
しかし、
その過剰さこそが現在でも
『エクスカリバー』を
唯一無二の作品にしている。
あらすじ
アーサー王の誕生から死まで
物語は「暗黒時代」と呼ばれる、
ブリテン島が王を失い、
諸侯が争っている時代から始まる。
魔術師マーリンは、
強大な剣「エクスカリバー」を持つ者こそ、
乱れた国を統一する王になると考えている。
ウーサーとイグレイン
最初に
エクスカリバーを手にするのは、
王ウーサー・ペンドラゴンである。
しかしウーサーは、
敵の王ゴルロイスの
妻イグレインに激しい欲望を抱く。
マーリンは魔術によって
ウーサーをゴルロイスの姿に変える。
こうしてウーサーは
イグレインと一夜を共にする。
このとき生まれた子供が、
後のアーサーである。
つまり
アーサー王の誕生そのものが、
すでに欲望、欺瞞、魔術、
そして罪によって汚されている。
ここは本作を理解するうえで
非常に重要な部分だ。
ジョン・ブアマンは、
最初から「完全な英雄の物語」
を描いてはいない。
アーサー王国という理想の国家は、
最初から人間の欲望という暗い部分を
内包しているのである。
石に刺さった剣
ウーサーの死後、
エクスカリバーは
石に刺さったままとなる。
「この剣を抜く者が真の王である」
やがて少年アーサーが剣を抜く。
自分が王の血を引く者であることを
知らなかった少年が、
偶然とも運命ともいえる形で王になる。
マーリンはアーサーを導き、
アーサーは次第に
一人の戦士から偉大な王へと成長していく。
円卓とキャメロット
アーサーは諸侯を統一し、
円卓の騎士たちを集める。
円卓は、
王と騎士が上下関係を超えて
一つになる理想の象徴である。
ここで映画は
一気に明るい方向へ進む。
それまで
戦争と混乱に覆われていた世界に、
秩序が生まれる。
アーサーはグィネヴィアと結婚し、
キャメロットは理想の王国となる。
しかし、
この幸福は長く続かない。
ランスロットとグィネヴィア
円卓の騎士ランスロットは、
グィネヴィアを愛するようになる。
グィネヴィアも
ランスロットを愛してしまう。
二人の愛は、
アーサーの王国を内側から崩壊させる。
ランスロットは
アーサーに忠誠を誓った
騎士でありながら、
その王の妻を愛してしまった。
つまりここには、
王への忠誠と個人の愛
という二つの価値の衝突がある。
アーサーは
二人の関係を知り、
激しく苦悩する。
そして
円卓の理想は崩れ始める。
聖杯の探索
王国が崩壊する中で、
アーサーは病み、
国土も荒廃する。
かつて輝いていたキャメロットは、
理想の王国から
死にゆく世界へと変わってしまう。
その再生の鍵となるのが
聖杯である。
騎士パーシヴァルは
聖杯を探す旅に出る。
この旅は単なる冒険ではない。
パーシヴァル自身が、
恐怖、欲望、死と向き合いながら
精神的に成長していく旅でもある。
そして彼は聖杯を発見する。
聖杯の力によって
アーサーは再び力を取り戻し、
荒廃していた大地にも
生命が戻っていく。
ここで、
王の再生=国土の再生
という神話的な構造が明確になる。
テーマと制作意図
「神話とは何か」
『エクスカリバー』の最大のテーマは、
単純な善と悪の戦いではない。
むしろ、
理想は、なぜ崩壊するのか。
人間はなぜ自らの欲望によって
理想を破壊してしまうのか。
という問いにある。
王国は人間の心の鏡である
アーサーの王国が
繁栄しているとき、
世界もまた豊かで美しい。
ところが王国に
裏切り、欲望、嫉妬、
憎しみが入り込むと、
自然も荒廃していく。
これは単なる
ファンタジー的設定ではない。
ブアマンの映画には以前から、
人間と自然、
文明と野性、
秩序と混沌という
対立が繰り返し登場する。
BFIもブアマンの作品について、
「探求」「夢と神話」「土地や環境」
への関心を繰り返し指摘している。
『エクスカリバー』は
その関心が最も大規模に結晶した
作品の一つだ。
エクスカリバーは「権力」の象徴
タイトルにもなっている
エクスカリバーは、
単なる魔法の剣ではない。
それは
「王になる資格」
「権力」
「秩序」の象徴である。
アーサーは
剣を手にすることで
王になる。
しかし、
剣を持っているだけでは
偉大な王にはなれない。
王としての力を持つ者が、
同時に
人間としての弱さを抱えている。
アーサーは偉大な王であると同時に、
嫉妬し、怒り、傷つき、
失敗する一人の人間なのだ。
ここにブアマンの
アーサー像の面白さがある。
マーリン――古い世界と新しい世界の境界
もう一人の重要人物が
マーリンである。
ニコル・ウィリアムソン
演じるマーリンは、
普通の「賢い魔法使い」とはかなり違う。
ユーモラスで、皮肉屋で、
どこか超然としている。
彼はアーサーを王に導くが、
同時に魔術によって
人間の運命を操作してしまう。
つまりマーリンは、
アーサー王国を作った人物でありながら、
その王国に存在する罪の原因にもなっている。
これは非常に皮肉な構造だ。
マーリンは、
神話の時代から人間の時代へ
移り変わる世界そのものの象徴
として見ることができる。
この映画ができるまで
十年以上の執念
映画『エクスカリバー』が生まれるまでには、
かなり長い物語になる。
ブアマン自身が子供のころから
アーサー王伝説に魅了されており、
この企画を映画にするために長年奔走していた。
カンヌ映画祭の公式資料でも、
ブアマンは「十年以上」
この映画の資金を得ようと苦闘していたと語っている。
さらに、
ブアマンのアーカイブには
1975年の脚本、
1977年のロスポ・パレンバーグ版、
1979年、1980年の脚本など、
何度も書き直された資料が残っている。
つまり『エクスカリバー』は、
短期間で作られた企画ではなく、
長年にわたって形を変え続けた映画だった。
『ロード・オブ・ザ・リング』から始まった?
興味深いのは、
ブアマンがアーサー王伝説以前に、
J・R・R・トールキンの
『指輪物語』の映画化を企画していたことだ。
この企画は実現しなかった。
しかし、
その過程でブアマンは壮大な神話世界を
一本の映画に凝縮するという
発想を強く持つようになる。
その後、
アーサー王伝説の映画化へと進んでいく。
つまり『エクスカリバー』は、
ある意味では、ブアマンが
「神話を映画にする」という夢を
長年追い続けた末に完成した作品なのである。
『エクソシスト2』の失敗から
『エクスカリバー』へ
ブアマンは1977年に
『エクソシスト2』を監督する。
しかし、
この作品は大きな野心を持った
実験的作品でありながら、
批評的には成功したとは言い難かった。
BFIも『エクスカリバー』の成立過程について、
ブアマンが1970年代半ばから企画を進め、
その間に『エクソシスト2』を
製作していたことを指摘している。
そして1970年代後半になると、
『スター・ウォーズ』の大成功によって
ファンタジー映画市場が拡大する。
当時のイギリス映画界では、
ファンタジーや剣と魔法を
題材とする映画への投資が活発になっていた。
BFI Screenonlineも、
『スター・ウォーズ』によって
ファンタジー映画市場が活性化し、
1970年代末から1980年代初頭にかけて
剣と魔法を題材にした映画が
次々と作られたと説明している。
長年実現しなかったブアマンの企画に、
ついにチャンスが訪れたのである。
アイルランドで撮影された理由
『エクスカリバー』の
映像美を語るうえで、
アイルランドの風景は欠かせない。
撮影はアイルランドの
ウィックロー、ティペラリー、
ケリーなどで行われ、
スタジオ撮影には
アードモア・スタジオが使われた。
パワーズコートの滝、
キャヒア城、
ウィックローの森や海岸などが、
アーサー王世界そのものに変貌している。
これは単に
「美しいロケーションを使った」
というだけではない。
ブアマンは
アイルランドに長く住み、
アイルランドの自然や
ケルト的な文化から強い影響を受けていた。
そのため『エクスカリバー』では、
自然が単なる背景ではなく、
神話そのものの一部になっている。
霧の森から騎士が現れ、
湖から聖なる剣が現れ、
滝の前でランスロットとアーサーが戦う。
現実のアイルランドの風景が、
そのまま神話の舞台になるのである。
圧倒的な映像
甲冑が「現実」ではなく「神話」になる
『エクスカリバー』を
現在でも特別な映画にしている
最大の理由は、その映像である。
甲冑は銀色に輝き、
森には霧が立ちこめ、
夜は青や緑の光に包まれる。
そして戦闘シーンでは、
甲冑を着た騎士たちが
巨大な金属の塊のようにぶつかり合う。
現実の中世を再現するというより、
「人間が昔から想像してきた中世」
を映像化しているのである。
BFIは本作を
「映像的に壮麗で、野心的」な
アーサー王伝説の映画化と評価している。
また撮影監督アレックス・トムソンは、
本作でアカデミー賞撮影賞にノミネートされた。
音楽
ワーグナーが神話を「運命」に変える
本作の音楽も極めて重要だ。
トレヴァー・ジョーンズ
による音楽に加えて、
ワーグナーやオルフの音楽が使用される。
特にワーグナーの音楽は、
アーサー王の物語を単なる冒険ではなく、
巨大な運命の物語
へと変えている。
騎士が森を駆ける。
甲冑が光る。
剣が振り下ろされる。
そこにワーグナー的な
壮大な音楽が重なる。
その瞬間、
登場人物は普通の人間ではなく、
神話上の人物へと変わる。
この「過剰さ」こそ、
『エクスカリバー』の魅力であり、
同時に批判された部分でもある。
ラストシーン
アーサーは死ぬのではなく、神話になる
映画の最後で
アーサーはモードレッドとの戦いに赴く。
そこには、
かつての輝かしい王国はない。
王と息子は最後の戦いを繰り広げる。
そしてアーサーは致命傷を負う。
エクスカリバーは湖へ返され、
アーサーはアヴァロンへ向かう。
ここで重要なのは、
アーサーが単純に
「死んだ」として
終わらないことだ。
彼はアヴァロンへ去る。
つまり、
人間としてのアーサーは死ぬが、
神話としてのアーサーは永遠に生き続ける。
これはブアマンが
アーサー王伝説を映画化した
最大の意味でもある。
カンヌ映画祭でブアマン自身が語ったように、
古い物語には
自分たちは何者なのか、
どこから来たのか、
未来はどうなるのか
を伝える役割がある。
『エクスカリバー』は、
その考えを映画そのものにした作品なのである。
まとめ 『エクスカリバー』は
「アーサー王映画」ではなく
「神話そのものを映画にしようとした映画」
『エクスカリバー』を
現在の基準だけで見ると、
物語は急ぎ足で、
登場人物の心理描写も十分とは言えない。
「なぜこの人物がこんな行動をするのか」
と戸惑う場面も多い。
しかし、
そこだけを理由に本作を失敗作と
判断するのは適切ではない。
この映画の目的は、
アーサー王伝説を
現代的なリアリズム映画に
することではないからだ。
ブアマンが目指したのは、
人間が何千年にもわたって
語り継いできた神話を、
映画という20世紀の神話装置に
よって蘇らせること
だったと考えるべきだろう。
そのため『エクスカリバー』には、
写実的な中世ではなく
「夢の中の中世」がある。
銀色に輝く甲冑。
深い緑の森。
霧。
魔術。
血。
聖杯。
光と闇。
そしてワーグナーの音楽。
これらが一体となって、
観客を現実世界から引き離していく。
BFIは本作について、
アーサー、グィネヴィア、
ランスロットの三角関係と
パーシヴァルの聖杯探索を中心に
アーサー王伝説全体を扱い、
叙事詩、悲劇、哀歌、喜劇を
混ぜ合わせた作品だと評価している。
そして今日、
『エクスカリバー』は1981年の
一ファンタジー映画という位置を越えて、
映画史上でも特異な「神話映画」の一つ
になっている。
後のファンタジー映画が
「世界観を作り込む」方向へ進んでいったのに対し、
ブアマンはもっと原始的な方法を選んだ。
世界を説明するのではなく、
世界そのものを夢として見せる。
そこに
『エクスカリバー』の最大の魅力がある。
そして、
この映画を一言で表現するなら、
理想の王国が、
人間の欲望によって崩壊し、
それでも神話として
永遠に生き続ける物語
ということになるだろう。
だからこそ、
公開から45年以上経った現在でも
『エクスカリバー』は色褪せない。
完璧な映画ではない。
むしろ、過剰で、荒々しく、
時には滑稽なほど大仰である。
しかし、
その「過剰さ」こそが
ジョン・ブアマンという
映画作家の個性であり、
『エクスカリバー』を他の
アーサー王映画から決定的に
引き離しているのである。
原作
『アーサー王の死』そして挿絵はあの・・
この映画の
原作は
ウェールズ人の騎士
トマス・マロリーの
長編作品『アーサー王の死』ですが、
ロジャー・ランセリン・グリーン
による改訂版には
あの19世紀末の
挿絵画家として有名な
オーブリー・ビアズリーが
挿絵を手掛けています。
初期のビアズリーは、
当時イギリスで盛んだった
ラファエル前派や、
ウィリアム・モリスが率いた
アーツ・アンド・クラフツ運動
(中世への回帰や装飾性)
からの強い影響下にありました。
『アーサー王の死』の挿絵でも、
中世の騎士道物語の世界観をベースにしつつ、
以下のような革新的な技法を爆発させています。
-
極限まで洗練された「黒と白」のコントラスト
余計な中間色を排除し、
緻密な線描と大胆な黒の面で
画面を構築する手法。 -
アール・ヌーヴォーと日本の「浮世絵」の融合
ビアズリー自身が深く傾倒していた
日本の浮世絵
(北斎や歌川国芳などの構図や平面的な空間処理)
の要素を、西洋の装飾美術へと
見事に昇華させました。 -
耽美主義と異端のエロス
中世ロマンの裏に潜む、
退廃的、官能的、
あるいはグロテスクなまでに
尖ったモダンな感性。
日本のイラストレーター・漫画家へ与えた影響
この「黒と白の線描」
「平面性と装飾性」
「妖艶で退廃的な世界観」は、
日本の大正期のモダニズムから
現代のサブカルチャー
(漫画・イラストレーション)にいたるまで、
熱烈なファンを生み出しました。













