日蓮宗_唱えよ南無法蓮華経、そして四大法難

「諸経の王」と呼ばれる
最高の経典。
『法華経』

それは、お釈迦様が
晩年に、これまでの説法をまとめた
集大成で、究極の真理とされてきた。

「日本仏教の母」天台宗でも
『法華経』を最高の教えとしている。

日蓮宗の開祖
日蓮
末法の世にこそ
この『法華経』によってのみ
人々は救済されるとし
南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょう
を唱えよと説いた。

そして、他の宗派を
激しく批難し
『法華経』だけが
正しい教えとした。

さらに

迫害を受けている状況こそが
『法華経』の正しさの証拠である

とし四大法難を受けた日蓮

何故、日蓮は
そこまでして
『法華経』を重視していたのか?

その日蓮の生涯と教えを見てみましょう。

  開祖

日蓮(にちれん)
(1222~1282)

16歳で出家。
鎌倉、比叡(ひえい)山を中心に11年間修学ののち、
故郷の安房(千葉県)の清澄(きよすみ)山に籠り、
法華経ほけきょう』こそが釈迦の説く最高の経典であると確信、

1253年
清澄山頂で「南無法蓮華経なむみょうほうれんげきょう」の題目を
高唱したときをもって、
立教開宗の年とされている。

1260年 
立正安国論りっしょうあんこくろん』を著し、
浄土宗、禅宗などの他宗派を非難、
法華経ほけきょう』を信じないと天変地異が続き、
国難が来ると予言した。

この書を鎌倉幕府に呈出ていしゅつするとともに、
日蓮にちれんは道端で布教活動を続けたが、
ここから四大法難を受けることになる。

松葉ヶ谷(まつばがやつ)法難

他宗の激しい怒りを買い
松葉ヶ谷まつばがやつの草庵が焼き討ちされてしまう。

伊豆法難

それでも、道端で布教活動を続けたが、
それを快く思わなかった幕府に
捕らえられ伊豆国伊東へ流罪となる。

日蓮は、伊豆に到着前に伊東沖の
俎岩まないたいわ」という岩礁がんしょうに置き去りにされた。
日蓮宗_唱えよ南無法蓮華経、そして四大法難
しかし、漁師の弥三郎に助けられた。

小松原法難

安房国で布教活動を始めるが、
日蓮にちれんによる念仏批判を受けて
激しく敵対心を抱いていた東条景信らが
日蓮にちれん一行を襲撃
日蓮にちれんの弟子と信者の2人が殺害され、
日蓮にちれん自身も額を斬られるとともに左手を骨折するなどの重傷を負う。
日蓮宗_唱えよ南無法蓮華経、そして四大法難

龍ノ口法難

蒙古襲来の危機感が高まるなか、
再び『立正安国論りっしょうあんこくろん』を著して鎌倉幕府に呈出ていしゅつした。

だが幕府は日蓮にちれんを捕縛し連行、
翌日の9月13日子丑の刻(午前2時前後)
日蓮にちれんを土牢から引き出し斬首しようとしたが、
江ノ島方より光の玉がやってきて、刑は中止されたという。
日蓮宗_唱えよ南無法蓮華経、そして四大法難
その後、佐渡へと流罪となる。
流罪中の3年間に『開目抄かいもくしょう』、
観心本尊抄かんじんほんぞんしょう』などを著述。
また法華曼荼羅ほっけまんだらを完成させた。

1274年
佐渡流罪を許されたのちは、甲州(山梨県)身延みのぶ山で
静かな余生を送るが、病気治療のため
常陸ひたち(茨城県)に湯治に赴く途中、

武蔵国むさしのくに池上(現在東京都台東区池上)で亡くなった。

日蓮の没後、
後事を託された弟子の六老僧
日昭にっしょう日朗ひろう日興にっこう
日向にこう日頂にっちょう日持にちじは、
それぞれ、日蓮にちれんの教えの布教伝道につとめたが、

時代とともに内部抗争が起こり、いくつかの分派ができていく。

 本尊

三宝尊さんぼうそん
日蓮宗_唱えよ南無法蓮華経、そして四大法難
仏・法・僧の三宝を祀るための仏像

 経典

法華経ほけきょう

 教えの特徴

法華経ほけきょうを最高の経典として、
すべての人が仏になることができ、
諸仏の統一として釈迦牟尼仏しゃかむにぶつ
常住不滅の仏であるから、
いつも人々を仏にしようとされている
と教えている。

したがって、永遠不滅の釈迦牟尼仏に帰依(きえ)し、
南無法蓮華経なむみょうほうれんげきょう』の題目を唱え、積極的な善行を積めば、
どんな人でも救われる、と説く。

また“日蓮宗”の教えは、単なる個人の救済ではなく、
社会の救済、国家の救済を強く主張している点も大きな特色である。

日蓮が1260年に著した仏教書。
当時日本は、
大地震、台風や大雨、疫(えき)病の流行などが相次いで起こり、
社会不安が増大していた。

日蓮は、このような世相は、
人々が正法である『法華経ほけきょう』を信じないで、
邪法である念仏や禅を信じているからだと
批難
法華経ほけきょう』に帰すること(立正)によって、
国家の安泰(安国)がなると主張した。

この書は、旅客と主人の問答体で書かれたもので、
日蓮にちれんはこれを鎌倉幕府の
執権(しっけん)・北条時頼(ほうじょうときより)に呈出ていしゅつした。

他宗派を禁じないと天変地異ばかりでなく、
内乱や外敵の二大国難が来るという日蓮の予言は、

1274年、1281年の蒙古襲来となって実現した、とされている。

 日蓮の教え

久遠実成くおんじつじょう釈尊の救いを信じ、

その救いを示す大曼荼羅本尊だいまんだらほんぞんに心から帰依きえし、
南無妙法蓮華経の題目を唱えて
立正安国りっしょうあんこくの実現に向かって精進し、
成仏を願うことです

日蓮聖人

1 五義(ごぎ)

五義とは、
法華経ほけきょう』こそが末法に生を受けた
私たちの救いのために説かれた経典で
あることを5つの基準に照らして明らかにする教義です。

仏の教えの中で最高のものは何かを知る

日蓮は仏教の意義を考えるのに、
儒教やバラモン教などあらゆる
思想・宗教を含めた精神文化全体を問題にしました。

そして、
仏教こそ過去世・現在世・未来世という三世を一貫する
私たちの生命を根源的にとらえ、その救いを示す宗教であることを確かめました。

さらに仏教経典が、
華厳経・阿含経・方等(ほうどう)経・般若経・法華経・涅槃経と説かれていく段階について考察し、法華経以外の諸経は、衆生の機根にあわせて説かれた方便であるとし、
法華経が末法において、
もっともすぐれている教えであることを明らかにしました。

機(き)   

機根きこん=人間のあり方)
人々の教えを受ける能力を考える

機とは、
教えを受ける衆生の機根(能力)のことです。末法の日本の衆生は下根下機(げこんげき)で、正邪の判断ができないところから
念仏などの法華経を否定する教えを信じてしまいました。
日蓮はそのような誤りを厳しく破折し、

機は「教」によって規定されているものであり、
下根下機(げこんげき)であればあるほど、
最高の教えである法華経が説かれなければならないとしたのです。

いまの時代はどのような時代なのかを判断する

時を知るとは、
広まるべき教えの内容と、
その時代の関連性を知ることです。

仏教では、釈尊入滅後、
正法一千年・像法一千年が過ぎると、
末法一万年が続くとされています。

正法とは、
ほぼ釈尊の時代と同様な仏教の修行が
おこなわれている時代、

像法とは、
形だけがよく似ておこなわれる時代

末法とは、
仏教の信仰が衰弱して人心が荒廃し、
世の中がおおいに乱れる時代

法華経の教えは、
この末法でその力をおおいに発揮する内容なのです。

つまり、法華経から見れば末法こそが
「選ばれた時」なのです。

その国の宗教的条件を考える

国を知るとは、
どのような教えがどの国土に
縁が深いかを確かめることです。

古来より法華経は、
インドから東北にあたる日本の国に縁が深いとされ、
また仏教が伝播された状況からみても、
日本は法華経が広められるのに
もっともふさわしい国であることがわかるそうです。

教法流布きょうぼうるふ先後せんご=順序)

仏教弘通ぐづうの歴史と現状を見て
広まるべき教えを明らかにする

本来、仏教は小乗から大乗へ、
権教から実教へとだんだん深い教えが
伝えられるようになっています。

したがって、教えを広めるには、
いままでその国にどのような教えが
広められてきたのかを知らなければなりません。

これを「教法流布きょうぼうるふ先後せんごを知る」
といいます。

この教法流布の順序を見ていくと、
日本は法華経が広まらなければならないということになっているそうです。
すなわち、これが「序」を知るということです。

2 三大秘法

三大秘法とは
日蓮にちれんがあらわされた
3つの根本的法門で

本門ほんもんの本尊」
「本門の題目」
「本門の戒壇かいだん」のことです。

法華経ほけきょう28ほんのうちの
後半14品を本門ほんもん
前半14品を迹門しゃくもん
といいます。

本門の中心は
如来寿量品にょらいじゅりょうほん第十六で、

釈尊の成道じょうどう(悟りを得ること)が
久遠(くおん)の過去であり、
釈尊は常に娑婆(しゃば)世界にいて
人々を救うという、法華経ほけきょうの教えの真髄が明らかにされています。

迹門しゃくもんの中心は
方便品ほうべんぼん第二で、
一仏乗いちぶつじょうという釈尊の悟りの内容が説かれています。

本地ほんじをあらわされた
仏の法門(教え)であることから本門といい、
垂迹すいじゃくの仏の法門という意味で迹門しゃくもんと呼びます。

末法の衆生を救う唯一の教えは、
本門寿量品の教えに包含されている
(南無)妙法蓮華経の5字(7字)であり、
これを一大秘法といいます。

日蓮は、この一大秘法を
私たち凡夫が信じ行じることができるように
三大秘法を説き示されたのです。

私たちが宗教を信じ、行じるためには、
必ず信仰の客体としての実在と、
信仰の主体としての人間と、
この両者を交わらせるための契機が必要となります。


本門の本尊

本門の本尊とは、
久遠実成じつじょうの教主釈尊で、
その釈尊による法華経の救いの世界を
書きあらわしたものが
大曼荼羅だいまんだらです。

日蓮は、釈尊の広大なる慈悲の世界を
一幅の紙面に書きあらわしました。


大曼荼羅だいまんだらの中心には、
南無法蓮華経なむみょうほうれんげきょうの首題が
柱のごとく大書きされています。

これは釈尊の妙法五字の大音声だいおんじょうを、
日蓮にちれんが光明(こうみょう)の筆法をもって文字にあらわしたものであり、
仏の心が声となり文字となった教えの姿なのです。

末法に入ってはじめて造立される寿量の本仏には、
必ず上行菩薩をはじめとする本化の
四菩薩が脇士となっています。

本門の本尊の仏像とは、
この釈尊像と四大士像の一尊四士いっそんししの形であることが
日蓮にちれんによって明らかにされました。

大曼荼羅だいまんだら本尊も一尊四士いっそんしし本尊も、
ともに日蓮にちれんが末法の世に流布することの必然性を示された「本門の本尊」です。


本門の題目

南無法蓮華経なむみょうほうれんげきょうという題目は、
末法の人びとを救うために釈尊が
地涌じゆの菩薩に付属された大法だいほうです。

日蓮はこれを、謗法(ほうぼう)の重病を治す良薬、
無上の価値のある宝珠などにたとえられています。

すなわち、
仏のすべての功徳と内包した教えが
南無法蓮華経なむみょうほうれんげきょうなのです。

このことを五重玄具足ごじゅうげんぐそくの題目といい、
みょうたいしゅうゆうきょうの五重玄義の意義を
満足する一切経の肝心なのです。

南無法蓮華経なむみょうほうれんげきょうという七文字の中に、
釈尊のすべての教えが集約され、
名であるとともに本体であり、
末法の凡夫を救う大切な教えなのです。

本門の戒壇

本門の戒壇かいだんとは、
本門の本尊に向って
本門の題目を受持する道場のことをいいます。

これを理想的にいえば、
本門の本尊を安置し、
題目を唱えるところはどこであろうとも
本門の戒壇かいだんになるのです。
これを理の戒壇かいだんといいます。

分派と在家教団

日蓮宗は『法華経ほけきょう』の教えにもとづく宗派であるが、
1282年に日蓮が亡くなってからは
後継者による内部分立が起こり、
法華宗、日蓮正宗、本門仏立宗・・・など
約11の分派が誕生、現在に至っている。

また“創価学会”をはじめとして、
“立正佼成会”“霊友会”など在家(ざいけ)教団が
多いことでも知られており、
日蓮宗の在家(ざいけ)教団は現在約20教団と数える。

 総本山

久遠寺(くおんじ)

山梨県南巨摩郡身延町身延3567

https://www.kuonji.jp/

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