マルスとミネルヴァの戦い_ルイ・ダヴィッド

鎧を着た女性が
今でも男性にとどめを刺そうとしています。
男性は
”うっ、やられる”っと
焦っている様子。

この絵のタイトルは
「マルスとミネルヴァの戦い」です。

マルスは、
今でも
やられそうな男性の方で
ミネルヴァは、
とどめめを刺そうとしてる
女性の方です。

マルスは、
古代ローマの軍神です。
でも、
ギリシア神話の
軍神にして殺害の神。
アレス
同一人物としてみていました。

一方、
ミネルヴァは、
ローマ神話の
知恵・戦争の女神で、
これも
ギリシャ神話の
アテネ
同じものとみていました。

つまり
アレスアテネの戦いだったのです。

そして、
この戦いは
トロイア戦争を描いているのです。

マルスアレス)は
トロイア側を支持し、
ミネルヴァアテネ)は
ギリシア側についています。

両者の戦いは、
知恵の象徴である
ミネルヴァアテネ)が、
戦争の象徴である
マルスアレス)を打ち破るのです。

この絵を描いたのは
ルイ・ダヴィッド

新古典主義
代表的画家です。

でも、
この絵は違います。

まだ、
新古典主義
目覚める前の作品です。

この優美で華やかな作品は、
ロココ絵画
装飾的手法です。

 

ダヴィッド
ロココ絵画を代表する画家
フランソワ・ブーシュ
のもとで
絵の修行をするつもりでいました。

マルスとミネルヴァの戦い
フランソワ ・ブーシェ「彼が考えているのは葡萄のこと?」

ところが、
ブーシュは彼に
ジョセフ=マリー・ヴィアン
のもとで修業するようすすめられ
ダヴィッド
ヴィアンの弟子になりました。

ジョセフ=マリー・ヴィアン
ダヴィッド
古代ギリシア・ローマの
様式と主題を題材にして
描くようにすすめていました。

ヴィアン自身も
ギリシャのイメージを
英雄的な作品ではなく、
古代風な
髪型と衣装を着た女性を
繊細なデッサンと
純粋で淡い色彩を用いて描き
成功を収めていたのです。

マルスとミネルヴァの戦い
ジョゼフ=マ リー・ヴィアン『香を焚く女司祭」

 

さて、
「マルスとミネルヴァの戦い」
に戻りましょう。

マルスとミネルヴァの戦い
たしかに
古代ギリシア・ローマの主題です。
しかし、
様式はロココ絵画になっています。
先ほどのブーシュの作品や

この作品の4年前に
ジャン・オノレ・フラゴナールが
描いた、ロココ絵画傑作
「ぶらんこ」


みたいに、
例えば
女性が上手かみてから
下手しもての男性を見下ろす構図や
マルスとミネルヴァの戦い
優美で華やかなところが
ロココ絵画に似ているのです。

ロココ絵画は、
見る者に優雅で幸福な気分を
与えることを目的としています。

なのに
この作品は戦争画です。
あまりにも
ミスマッチになっています。

当時23歳だった
ダヴィッドは、
念願の「ローマ賞」を
得ようとアカデミーに
この作品を出品しましたが、
落選

翌年も落選
ダヴィッドは、
食を断って死のうとするほど
落胆しました。

そして、
4度目にして
念願の「ローマ賞」を獲得。
この時の作品は
アンティオコスとストラトニケ』で
マルスとミネルヴァの戦い
アンティオコスが
義母ストラトニケにいだく恋心を
叙事詩的に描いた作品になっています。

この叙事詩的な要素を含んでおり、
物語やドラマを視覚的に表現した作品は
17世紀(バロック時代)の画家
ニコラ・プッサン
古典主義の表現です。

ダヴィッドは、
ニコラ・プッサンの確立した手法

限定された数の人物を水平線と垂直線を
強調した構図に配することによって
倫理的な意味をもつ古代史の事件と
明瞭に物語るという物語画(歴史画)の手法

それを応用して
この
アンティオコスとストラトニケ
を描きました。

後に
新古典主義へとスタイルを変えた
ダヴィッドは、
「マルスとミネルヴァの戦い」
のことを

ダヴィッド

この作品をに思う

と述べたのです。

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