ブラック・ブランズウィッカー_ジョン・ミレイ

ブラック・ブランズウィッカー_ジョン・ミレイ

 

1857年に発表した
浅瀬を渡るサー・イザンブラス
過ぎ去りし夢-浅瀬のイサンブラス卿_ミレイ
で散々非難され
うちひしがれた
ミレイであったが、

その3年後に
この作品でみごとに
汚名を挽回ばんかいしました。

 

この絵のタイトルである
ブラック・ブランズウィッカー
とは、
黒い制服によって
「黒い軍勢」と呼ばれた、
ドイツ義勇軍!
ブラウンシュヴァイク騎兵
のことをいいます。

そして、絵の背景には
ナポレオンの肖像画が,,,

これで当時の観衆は
ワーテルローの戦い
に向かう場面
とわかったのです。

時は1815年
ワーテルローの戦い
向かおうとしている
ブラウンシュヴァイク騎兵
舞踏会用のドレスを着た恋人が
ドアを開けるのを防いでいます。
彼と別れたくないのです。

ブラック・ブランズウィッカー_ジョン・ミレイ

ワーテルローの戦いとは
ベルギーのワーテルロー近郊で
ナポレオン率いる
フランス帝国(7万2000)
イギリス・オランダなどの
連合軍(6万8000)
戦ったことを言います。

この戦いに
プロイセン王国(約5万)
連合軍に来援し
フランス軍が敗北
ナポレオン最後の戦争になりました。

プロイセン王国とは
現在のドイツ北部から
ポーランド西部にかけて
領土としていた王国で
首都はベルリン!
言語はドイツ語でした。

 

この絵の主人公!
ブラウンシュヴァイク騎兵
ドイツ義勇軍ですが
イギリス・オランダ連合軍では
ウェリントン元帥の
予備軍団にいましたし、
また、
プロイセン王国
合流している部隊も
あったそうです。
彼が、どちらの部隊にいたのか
解りません。

じつは、ミレイが
この絵を発表したときには
ブラック・ブランズウィッカー
複数形のタイトルでした。

彼はこう言っています。

ミレイ

彼らは、ほぼ
絶滅
してしまったが、
驚くべき勇敢さで
戦いを実行した…

 

ミレイ

私は
すべてそれを
私の心の目の中に
持っており、
それが作品として
驚異的な成功になる
と確信している。

 

つまり、
この絵の主人公は
1人の男ではなく
ブラック・ブランズウィッカー
そのものなんですね。

愛する人を守るため
命を捨てて
勇敢に戦って散った
ブラック・ブランズウィッカー
彼らの正義と愛

戦争画で描くのではなく
衣装と小道具(ナポレオンの絵)
そして、感情で
そのときを物語る表現は
実に素晴らしい

この作品は、
たいへんな人気を呼び
大画商
アーネスト・ガンバートから
1000ギニーで売られたそうです。

 

スポンサーリンク

ミレイ鑑賞作品一覧

 

 

スポンサーリンク
pickup
おすすめの記事