論語 「信」信頼できる人とは?また失った信頼について 信頼関係について悩んでいませんか? たとえば、信頼していた相手から裏切られたとか、たった一言で信頼関係が崩れ、それを育ちの違いのせいにしているとか、信頼しあえる友達が欲しいとか・・・・ また家庭にお金を入れる事で信頼関係が成立していると思っていませんか? そもそも「信頼」とは何でしょう あなたの都合で、動うごいてくれる...
論語 「知」知恵を身につけるにはどうしたらいい? 「智」は『論語』の原文では、知と表記されていています、 その意味は【聡明そうめい】理解力があって(人格にすぐれ)賢かしこいこと【明智めいち】 すぐれた智慧ちえ(知恵)【智謀ちぼう】 智慧(知恵)にあふれるなどのことを指します。 ここでは、『論語』で言う「智の人」になるための「智」=「知恵」を身につけるにはどうしたらいい...
論語 「知」心が惑わない智の人とは、どんな人? 「智」は『論語』の中では、知と表記されていています、 その意味は【聡明そうめい】理解力があって(人格にすぐれ)賢かしこいこと【明智めいち】 すぐれた智慧ちえ【智謀ちぼう】 智慧にあふれるなどのことを指します。 また、『論語』では「智の人」、つまり「智」を身につけた人が語られます。 「智」を身につけた人とは、どんな人なの...
論語 子游、礼楽や儒学を広めた南方夫子 子游しゆう(前五〇六〜?)、姓は言げん、名は偃えん。呉ご国の人。 孔子の弟子(七十子)の中では唯一南方みなみかたの出身。孔門十哲こうもんじってつの一人で古代の文献に詳しく、礼儀に通じ、聖門せいもんの四科しかには文学の一人孔子の晩年に弟子入りをした。孔子より四十五歳わかい 魯ろの武城ぶじょうの町の長官を務め、孔子の政治主...
論語 冉求、孔子を帰国させ破門された多彩多芸の弟子 冉求ぜんきゅう(前522年〜?)、 魯ろ国の人。 孔子より二十九歳わかい 孔門十哲こうもんじってつの一人で、才能豊かで、 政治に参画できる人材であった。 子曰、求也、 千室之邑、百乘之家、 可使爲之宰也、 公冶長5-8 孔子曰く 冉求ぜんきゅうは、 千戸の町や大家老の家で その長官にならせることはできます。 公冶長5-...
論語 宰我、よく叱責を受けていた愛を知らない弟子 宰我さいが 姓は宰さい、名は予よ、字は子我しが 魯ろ国の人。 孔門十哲こうもんじってつの一人で、 言葉遣いに優れ、 聖門せいもんの四科しかでは 言語(弁舌べんぜつの才)の一人 孔子は彼を斉せいや楚その国に 使いに出したこともある。 楚その国の 令尹れいいん(宰相さいしょうの位)の 子西しせいは 楚その使者に子貢のよう...
論語 孔子の弟子たち、孔門十哲と「七十子」の言葉 子曰、若聖與仁、則吾豈敢、抑爲之不厭、誨人不倦、則可謂云爾已矣、公西華曰、正唯弟子不能學也、 述而7-33 先生がいわれた 孔子曰く 聖せいとか仁じんなどというのは、私などとても及びもつかないことだ。ただ、聖せいや仁じんへの道を行ってあきることなく、また人を教えて怠おこたらないということは、いってもらっても宜しかろう。...
論語 閔子騫、親を諌めるのも孝行!それを行った弟子 閔子騫びんしけん(前536〜?)、 魯ろ国の人。 言葉は少なく、 欲もなく、 役人になる気持ちも 薄かったので、 孔子は 大夫に仕えず、 汚君の禄を食まず 『史記』仲尼弟子列伝 と彼を称賛した。 孔子より十五歳わかく、 孔子の弟子の中で最も優れた 孔門十哲こうもんじってつの一人で 聖門せいもんの四科しかでは 徳行とっこ...
論語 仲弓、孔子が絶賛!才知と仁徳を備えた弟子 仲(ちゅう)弓(きゅう) (前522〜?) 魯ろ国の人。 身分の低い家の出身だったが、 学を好み、度量が大きかった。 孔門十哲こうもんじってつの一人で、 徳行とっこうがあり、 孔子絶賛の 才徳(さいとく)兼備(けんび)の弟子であった。 才徳(さいとく)兼備(けんび)とは すぐれた才知、 つまり才能と知恵があり その...
論語 顔回、貧しく短命だった孔子の最も自慢の弟子 顔回がんかい(前521〜前481)字は子淵しえん、 魯ろ国の人。顔淵(がんえん)ともいう。孔子より三十歳わかかった、孔子の弟子の中で最も優れた孔門十哲こうもんじってつの一人でさらに孔子の弟子には徳行とっこう、政事、言語(弁舌べんぜつの才)、文学の聖門せいもんの四科しかに分けられていて顔回がんかいは徳行とっこう第一と評さ...
論語 冉伯牛、伝染病にかかった最長老の弟子 冉伯牛ぜんはくぎゅう、魯ろ国の人。 仲弓ちゅうきゅうと同族で、 徳行とっこうを以て称えられ、 孔門十哲こうもんじってつの一人 性格はしっかりとしていてまじめ、 思ったことははっきり言い、 学習は理論的で細かく、 人に対応するのが上手かった。 孔子が魯ろの司寇しこうだった時に、 中都の長官になったことがあるが、 孔子に従...
仏教 祇園精舎とサンガ、そして入滅 サールナートに近いヴァラナシ(ベナレス)は、交易と商業の町として非常に栄えていました。ここにヤサという豪商の息子がいました。 たいそう裕福であったので、夏の涼しい別荘、冬の暖かい別荘雨季の清潔な別荘を持ち、美女と美食と、まばゆい宝石と装飾品に囲まれ、贅沢の限りを尽くした生活を送っていたのです。 だが彼の心は満たされては...
仏教 四苦八苦、八正道、四聖諦を説いた初転法輪 ”成道じょうどう”を遂げた仏陀ブッダ(釈尊)は、以後21日間、黙然と坐禅を続け、悟った”真理”をひとり味わい、楽しんでいた。そしてそのまま衆生しゅじょうに伝道することなく、入滅にゅうめつするつもりでいました。 【入滅にゅうめつ】とは、 肉体からも完全に開放された状態で、生死を超越した境地(永遠の解脱)に至ることです。 ...
仏教 仏教誕生の核心、縁起と十二因縁を知る降魔成道 ”シャーキャ族”の王子シッダールタ(釈迦)は、何一つ不自由のない生活を捨て生死の問題を根本的に解決するために出家をした。 しかし、この時代は正統バラモン教を否定しさまざまな修行者が独自の思想を思うがままに展開していたのである。 シッダールタ(釈迦)は、いかにして独自の悟りに至ったのか仏教誕生の核心に迫る2人の仙人 出家...
仏教 輪廻とは、カルマとは、四門出遊による苦と出家 シュッドーダナ(浄飯王じょうぼんのう)は、シッダールタ(釈迦)が成長するたびにアシタ仙人の言葉を思い出し、不安になった。 アシタ仙人 この子には2つの道があります。 アシタ仙人 1つは偉大な帝王になること アシタ仙人 そしてもう1つは全人類が救われる『仏陀(ブッダ)』になることです。そして、シッダールタ(釈迦)を出家さ...
仏教 天上天下唯我独尊_釈迦誕生そして死と地獄 天竺てんじく国(インド)の北部ヒマラヤ山の麓ふもとにあるカピラヴァストゥを治める”シャーキャ(釈迦)族”がいました。国王のシュッドーダナ(浄飯王じょうぼんのう)と、その妃(きさき)マーヤー(摩耶夫人まやぶにん)は徳高く、人望がありました。 しかし、結婚して十数年たっても子宝に恵まれませんでした。 入胎 ある夜、マーヤ...
仏教 禅とは、禅の基本『四聖句』と『十牛図』とは 「禅」とは、古代インドのサンスクリット語、「ドフヤーナ」に由来しています。 ドフヤーナは瞑想(めいそう)静観(せいかん)思念(しねん)などという意味で、ある対象に意識を集中して、それに没頭していく行法のことをいいます。 お釈迦様が菩提樹ぼだいじゅの下で坐禅を組み「われは悟りを得るまで、この座を立たず」といい、全ての「悪...
日本仏教 天台宗_最澄がもたらした新しい思想 時は、平安時代 「奈良仏教」の腐敗堕落ふはいだらくが 国を圧迫していた。 第50代:桓武かんむ天皇は 平安京(京都)に都を移し、 奈良の寺院が京に移転することを 禁じ「奈良仏教」を断ち切った。 そして、 行き詰まった政治の立て直しを ある一人の僧に期待した。 最澄である。 最澄は 遣唐使として中国に渡り 当時最新の仏教...