諸行無常、諸法無我、涅槃など釈迦の思想を解説

 

成道じょうどうを遂げた
仏陀ブッダ(釈尊)は、
以後21日間、
黙然と坐禅を続け、
悟った真理をひとり味わい、
楽しんでいた。
諸行無常、諸法無我、涅槃など釈迦の思想を解説

そして
そのまま衆生しゅじょう
伝道することなく、
入滅にゅうめつするつもりでいました。

入滅にゅうめつとは、
肉体からも完全に
開放された状態で、
生死を超越した境地
(永遠の解脱)に至ることです。

仏陀ブッダ(釈尊)は、
いったい何故
誰にも教えずに、
そのまま
入滅するつもりだったのでしょうか?

それには、
現代の我々でも理解しがたい・・
たとえ理解したとしても、
なかなか実践することが出来ない。
難解な教えがあったからです。

ためになることを
いくらたくさん語っていても、
それを実践しなければ
怠け者である。
それはたとえば
牛飼いが他人の牛の数を
勘定しているようなものだ。
そういう者は、
修行者とは言えない。

法句経『ダンマパダ』(19)

 

そして、
すべては自分自身の問題だからです。

自分の救済者は
自分自身である。
他の誰が救ってくれようか。
自分を正しく制御して
はじめて、
人は得難い救済者を
手に入れるのだ。

法句経『ダンマパダ』(160)

 

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一切皆苦(いっさいかいく)

仏陀ブッダ(釈尊)は、
我々がいかに名誉や財を誇り、
若さを謳歌おうかしても、
現実の人生は、
常に苦しみに満ちたもの
であるという
厳しい事実の認識から
出発しました。

たとえお金が雨となって
降り注いできたとしても、
欲望は満足することがない。
賢い人は、
「欲望とは、味わいのない苦しみだ」
と知る。

法句経『ダンマパダ』 (186)

 

そして、
誰もが老い病み死ぬことを免れない。
生まれることそのことが苦しみである
さらにうらみにくむものに会い
愛する者と別れ
求めるものは得られず
五体から生じる欲望に苦しめられる
=(四苦八苦しくはっく

このように人生は
自分が求めるものに
ならないのである
=(一切皆苦いっさいかいく

「因果関係によって
 作り出された
 すべてのものは苦である」
(一切皆苦いっさいかいく)と智慧によって見る時、
人は苦しみをいとい離れる。
これが、
人が清らかになるための道である。

法句経『ダンマパダ』(278)

 

では何故、人は
悩み苦しむ
人生をあゆむのか?

それは、
人間の内面の奥深くに、
根強い様々な
欲望(渇愛かつあい)があり、
その欲望にとらわれ
煩悩ぼんのう
苦しめられるからである

そして、
煩悩の根本的なものは
むさぼり(貪欲どんよく
怒り(瞋恚しんに)と
迷い(愚癡ぐち
3つと仏陀ブッダ(釈尊)
考えたのです。

貪欲どんよくに染まった人は、
流れのままに押し流されていく。
それはまるで、
蜘蛛が自分で作り出した
糸の上を進んでいくようなものだ。
一方賢者は、
その貪欲どんよくを断ち切り、
執着することなく、
一切の苦しみを捨てて
進んでいくのである。

法句経『ダンマパダ』 (347)

 

怒らないことによって
怒りに打ち勝て。
善いことによって
善からぬことに打ち勝て。
布施ふせすることによって
物惜しみに打ち勝て。
真実によって
嘘つきに打ち勝て。

法句経『ダンマパダ』 (223)

 

 

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諸行無常(しょぎょうむじょう)

“諸行無常”とは
すべてのものは縁起えんぎによって
絶えず変化・生滅していて、
不変なものは無い無常むじょうという考え方です。

今の状態がいつまでも続くと思い、
目先の楽しみで人生をエンジョイしていると、
いざ病気になったりする変化が起こったときに
後悔などの苦しみが生じます。

また、
人生設計を考えても、
この世は常に変化するので、
自分の思い通りにはなりません。

では、私たちはどう生きればいいのか?

それは、
この世を諸行無常しょぎょうむじょうと理解し、
その現実をありのままに受け入れ、
この世界に耐えるべく、
自分の価値観・世界観を
つねに変えていくしかないと言う事です。

諸行無常、諸法無我、涅槃など釈迦の思想を解説

仏陀ブッダ(釈尊)も、こう言っています。

「因果関係によって
 作り出された
 すべてのものは無常である」
諸行無常しょぎょうむじょうと智慧によって見る時、
人は苦しみをいとい離れる。
これが、
人が清らかになるための道である

法句経『ダンマパダ』(277)

 

 

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諸法無我(しょほうむが)

永遠不滅の実体や本体はなく、
自分のものにすることはできない。
この世に「我(自分)」という
永遠不変の実体が存在していない。
それが、”諸法無我”です。
諸行無常、諸法無我、涅槃など釈迦の思想を解説
自分の心さえも、
思い通りになるものは
何もないのに
自分のものだと思いこむから
苦しみが生じる。

富、権力、人の心など、
すべてが、かりそめであると知れば、
執着から解放され、
「苦」から遠ざかることができる。

愚かな人は、
「私には息子がいる」
「私には財産がある」
などといって
それで思い悩むが、
自分自身が
そもそも自分のものではない。

ましてやどうして、
息子が自分のものであろうか。
財産が自分のものであったりしようか。

法句経『ダンマパダ』 (62)

 

仏陀ブッダ(釈尊)は、
そもそも自分などないのであり、
ありもしない自分を中心に世界を
とらえるのは愚かのきわみだと説きました。

「すべての存在に、
 自我なるものはない」
諸法無我しょほうむがと智慧によって見る時、
人は苦しみをいとい離れる。
これが、
人が清らかになるための道である

法句経『ダンマパダ』 (279)

 

では、
仏陀ブッダ(釈尊)は自分という肉体を
どう見ているのでしょうか?

見よ、飾り立てられた形体を。
傷だらけの身体であり、
要素が集まっただけの
ものである。

病にかかり、
勝手な思わくばかり多くて、
そこには堅実さも安定もない

法句経『ダンマパダ』(147)

諸行無常、諸法無我、涅槃など釈迦の思想を解説

骨が組み合わさって
城郭が作られ、
そこに
肉と血が塗られ、
その中に「老い」と
「死」と
「傲慢」と
「ごまかし」が鎮座している

法句経『ダンマパダ』 (150)

 

 

涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)

 

すべての苦しみは、
欲や執着などの煩悩によって
引き起こされることを理解し、
そして、
この世のすべての事物や
現象が移り変わり、
実体がないことを知れば、
煩悩は消え
静寂で安らかな
悟りの境地
(涅槃=完全な解脱)
に入れる。

それが
涅槃寂静ねはんじゃくじょう
です。

完成した状態に達し、
恐れることがなく、
渇愛を離れ、
よごれのない者は、
生存の矢を断ち切って
しまっている。
この身体が最後のものである。

法句経『ダンマパダ』 (351)

 

まとめ

 

仏陀ブッダ(釈尊)の思想をまとめたのが
以下の図です。
諸行無常、諸法無我、涅槃など釈迦の思想を解説
このように、
煩悩を消し去るには、
かなり自制が必要です。

たとえ、
自制が出来ても、
周りの人がとやかく言ってくるのです。

私も、
血圧を下げるために
内臓脂肪を落とす生活をしました。
それは
1日1食のプチ断食や
ウォーキング、筋トレなどです。

そのとき、
努力している私に
とやかく言ってきたのが
身内や知人たちです。

しまいに、
外食に連れて行かれ
母親に強制的に食わされました。
親でもそうです。

まあ、これも縁(縁起)ですよね。

だから、
仏陀ブッダ(釈尊)
出家しゅっけをすすめたのです。

出家しゅっけとは、
世俗の生活をいっさい捨てて
「サンガ」と呼ばれる組織に
入ることを言います。

賢者たちが「固い縛り」と呼ぶのは、
鉄や木や、パッバジャ草の繊維で作った
手枷(てかせ)足枷ではない。
宝玉や耳飾りなどに対する強い執着や、
妻子への愛着、
それを賢者たちは「固い縛り」と呼ぶのだ。
それはだらりとしていて、
ゆるそうに見えるが逃れがたい。
彼らはこれさえも断ち切り、
愛着せず、欲望の楽を捨てて遍歴の道を行く。

法句経『ダンマパダ』(345.346)

 

「サンガ」に入るには、
持っている財産を捨て、
親兄弟・妻子とのつながりも断つことで
すべての執着から離れます。

名称とかたちのあるものについて、
「私のものだ」という思いを全く持たず、
何かがないからといって
憂えることのない人、
そういう人こそが
出家修行者(比丘びくと呼ばれる

法句経『ダンマパダ』(367)

 

しかし、現実問題として
日本には「サンガ」はありませんから
やはり、拠り所は自分自身となります。

この世のものは不浄だと
観察しながら暮らし、
感覚器官を正しく防御し、
食事の節度を知り、
信頼の心を持って
努力し続ける者は、
風が吹いても
岩山がびくともしないように、
悪魔がきても動揺することがない。

法句経『ダンマパダ』 (8)

戦場において
百万人に勝つよりも、
ただ1つの自分自身に
勝つことのできる者こそが、
最高の勝者である

法句経『ダンマパダ』(103)

行動を制御するのは善いことだ。
言葉を制御するのは善いことだ。
心を制御するのは善いことだ。
すべてにおいて、
制御は善いことである。
すべてにおいて
制御した仏教修行者は、
あらゆる苦しみから逃れ出る。

法句経『ダンマパダ』(361)

 

仏陀(釈尊)の言葉

最後に
現代に生きて苦しんでいる皆様に
仏陀ブッダ(釈尊)の言葉を記載します。
皆様の今後の人生にお役に立つことを祈って

努め励むことは、
死を離れた境地である。
怠りなまけることは、
死んでいる状態である。
努め励んでいる人びとは、
死ぬことがなく、
怠りなまける人たちは、
死んでいるようなものだ。

法句経『ダンマパダ』(21)

他人の間違いに目を向けるな。
他人がした事、
しなかった事に目を向けるな。
ただ、自分がやった事、
やらなかった事だけを見つめよ。

法句経『ダンマパダ』(50)

愚かな者が、
自分を愚かであると自覚するなら、
彼はそのことによって賢者となる。
愚かな者が自分を賢いと考えるなら、
そういう者こそが愚か者と言われる。

法句経『ダンマパダ』 (63)

学ぶことの少ない者は、
牛のように老いていく。
肉ばかり増えて、
智慧は増えない。

法句経『ダンマパダ』(152)

快楽から憂いが生じ、
快楽から恐れが生じる。
快楽を離れた者には憂いがない。
まして恐れなどどこにもあり得ない。

法句経『ダンマパダ』 (214)

頭髪が白くなることで
長老になるのではない。
ただ年をとっただけの人は
「むなしい老人」と言われる。

法句経『ダンマパダ』 (260)

恥じなくてもよいことを恥じ、
恥じなければならないことを恥じない。
そういう者たちは、
誤った、見解を抱いたまま、
悪い場所へと生まれ変わっていく

法句経『ダンマパダ』(316)

恐れなくてもよいことに恐れを感じ、
恐れねばならないことに恐れを感じない。
そういう者たちは、
誤った、見解を抱いたまま、
悪い場所へと生まれ変わっていく

法句経『ダンマパダ』(317)

餌で太った大豚のように、
惰眠だみんをむさぼり、
がつがつ食べて、
ごろごろ転げて
眠りこける大馬鹿者は、
何度も何度も母胎に入って
《輪廻を繰り返す》

法句経『ダンマパダ』(325)

渇愛で
がんじがらめに
なった人びとは、
罠にかかった
ウサギのように
這いずり回る。
束縛と執着に捕らえられて、
永いあいだ、
繰り返し何度も何度も
苦しみを受けることになる。

法句経『ダンマパダ』 (342)
釈迦(仏教)物語

 

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