アベル・ガンスの「ナポレオン」
ナポレオン・ボナパルトは
18世紀末から19世紀初頭にかけて活躍した
フランスの政治家・軍人です。
この映画は
ナポレオンの幼少期から
1797年(28歳)の
イタリア方面軍司令官時代までを
映像化!
3時間55分の見ごたえある作品でした。
ナポレオン・ボナパルトは
1769年にコルシカ島で生まれました。
ボナパルト家は
コルシカ島の小さな貴族の家柄なのです。
ちなみに
ボナパルト家の家紋は
鷲です
(これ大事!)
ナポレオン第一期
映画はナポレオンが
パリの陸軍士官学校で
雪合戦をしているところから始まります。
この雪合戦で
ナポレオンの見事な指揮で
快勝したという話が
有名らしく
それが見事に映像化されています。
でも、学校では
コルシカなまりで馬鹿にされたり
喧嘩っ早く短気な一面があったので
なかなか友達がいません。
唯一の友達が
これ
そう、鷲です
なんで、この鷲が
ここにいるのか
謎ですけど
鷲は
ボナパルト家の紋章にあり
皇帝になったナポレオンの紋章にも
ついてます。
鷲に一生懸命話しかける
ナポレオン
そして
聞いているのかどうか
わからない鷲
ナポレオンが撫でると
嫌がる鷲が
なんとも笑える。
時は経ち、
1789年、フランス革命が勃発し、
山岳派の3巨頭が出てきました。
そして
フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の誕生
さらに
”自由の女神”が登場!
劇的なシーンですね。
”自由の女神”については
こちらを見てね
故郷コルシカへ帰ったナポレオン
しかし、
彼を快く思わない
反対派の反撃を受けるんですね
コルシカ島の逃亡シーンは迫力あります。
小船でコルシカ島を脱出した
ナポレオンでしたが
嵐の海に翻弄されます。
一方、
国民公会では派閥争いが激化
国(政治)と波が荒れる表現
そこに鷲とナポレオンの表情
素晴らしい映像ですね。
無事、
ボナパルト家は
マルセイユに移住しました。
そして
ナポレオンは
軍隊に復帰すると、大尉に昇進。
トゥーロン要塞派遣の
命が下されたのです。
現地にいくと
新たに砲兵司令官となり、
少佐に昇格しました。
ナポレオンは、
まずは港を見下ろす二つの高地を奪取して、
次にそこから大砲で敵艦隊を狙い撃ちにする、
という作戦を進言します。
この作戦シーンは
なんとアニメーションなんです。
港湾都市トゥーロンの戦い
大量の雨の中
激しい戦いが描かれています。
雨だけでなく雹まで降ってきた!
この雹が戦況を変えるのです。
指揮するナポレオンと戦場が
多重露光による3分割で表現
勝利したナポレオン
そこに登場したのは
やはり、鷲ちゃん
ナポレオン第二期
でた~
シャルロット=コルデー
マラー暗殺事件ですね。
山岳派の3巨頭の一人、
マラーが暗殺される事件
絵画では、
いろんな画家が描いていましたが
まさか、映像で見れるとは。。
詳しくはこちらを見てね
同じく
山岳派の3巨頭の一人、
ダントンも粛清されます
詳しくは映画「ダントン」を見てね
ロベスピエールと組んで
「恐怖政治」を行った
サン・ジェスト
なんと監督自身が演じています。
「テルミドール9日のクーデタ」がおきて
ロベスピエールも
サン・ジェストも
ギロチン台へ
ナポレオンが表舞台に出てきました。
統領政府期に
社交界での花形3人が登場!
3美人とこの時代に関しては
こちらを見てね
ジョゼフィーヌの子供に遊ばれるナポレオン
ジョゼフィーヌと結ばれた
ナポレオンは
イタリア遠征軍司令官に任命されます。
ナポレオンは、
休会中の議会堂を訪れます。
そこには
国民公会の亡霊たちが現れ
ナポレオンに
覚悟を問います
ナポレオンは皇帝になることを誓います
さあ!
いよいよ
フランス革命戦争を
終わらせる戦いが始まります。
そもそも
ヨーロッパのほどんどが
王国だったので
フランス国王ルイ16世の
処刑は
まわりの国王に
危機感と衝撃を与えました。
このままだと
フランス革命の影響で
王国は滅ぼされると思ったのです。
そこで
ハプスブルク帝国(オーストリア)
プロイセン王国
ナポリ王国
グレートブリテン王国
(イングランド、スコットランドなど)
サルデーニャ王国
スペイン王国
ポルトガル王国などが
同盟を組んで
フランスの革命政権を打倒する
第一次対仏大同盟が結成。
フランス革命で国内が混乱している
フランスに戦争をしかけたのです。
これがフランス革命戦争なのです。
映画もクライマックス
そして画面は広がって
3画面へ...
3台のカメラで撮影した映像を
3面のスクリーンに映写する
トリプル・エクラン(三面スクリーン)になります。
そして、
ナポレオンといえば。。。
やっぱり出た
鷲ちゃん
画面はフランスの国旗である
トリコロール(三色)になって
フランス革命戦争の終結
そして
ナポレオンの時代(フランス第一帝政)へ
と向かっていくのです。
Data
1927年 | フランス |
監督/脚本: | アベル・ガンス |
技術監督: | シモン・フェルドマン |
出演: | アルベール・デュードネ ウラジミール・ルーデンコ |
映像の詩人アベル・ガンス
1920年代、
フランス映画界は黄金期でした。
とくに
当時のフランス人にとって
”映画は光で作る音楽”と言われていて
そう言わしめた映画が
映像の詩人アベル・ガンスの
『鉄路の白薔薇』(1923年)なんです。
フランス映画史に残る名作ですね。
『鉄路の白薔薇』で
フランス映画の巨匠になった
アベル・ガンスは
フランスの国民的英雄で
偉大な帝王ナポレオンの
全生涯を描こうという厖大な
歴史的大作に挑みます。
私が見た、この作品は
なんと第1部なんですね。
(6部作の予定だったらしい…)
第1部なのに「ナポレオン(決定版)」だと
9時間22分もあるんです。
(オリジナルは12時間以上らしい…)
アベル・ガンスは
この「ナポレオン」で、
映像表現の究極をきわめました。
雪合戦のシーンでガンスは
早いカット変わりの極限に挑みます。
カメラマンの胸にカメラを据え付け
観客がまるで雪玉をくらう感じを
する映像をとるために
追っかけながら
近寄りながら撮影をしたのです。
また、🛷ソリに乗って
滑りながら撮影したり
ソリ🛷につけたギロチン型に
カメラを取り付けて
急降下や飛び込みの効果をねらいました。
コルシカ島の逃亡シーンでは
カメラを馬上に積み
ゼンマイもモーターもない時代に
蒸気機関を改造し空気圧で
360度自動回転するカメラを
つくったのです。
さらに
嵐のシーンでは
水槽に船を浮かべて
そこに大量の水で荒れさせる
東宝(円谷)の特撮を
この時代にやっていました。
そして、荒れる議会の映像は
サーカスのブランコみたいなものに
カメラマンが乗って撮影 !
議会の群衆が
波を打っている感じに撮れてます。
これは
ヴィクトル・ユーゴーの言葉を
映像化したらしいです。
議会の一員になるのは、
海で波となることと同じだ
と。
さすが、
映像の詩人アベル・ガンス
この時に、
3面のスクリーンに映写する
トリプル・エクラン(三面スクリーン)
を発明したそうです。
トリプル・エクランについて
いくつかのシーンで
空間が足りないように感じました。
映像があまりにも
小さく見えて仕方なかった。
そして
なんとなく
スクリーンを広げたらっと、、
考えてみたのです。
広い画面を得るために、
まず1つのカメラで右側を撮り、
次にもう1つで正面を
さらに、
もう1つのカメラで左側を撮って
それを映しだしたら
パノラマのように
なるのではと思いました
そして、
トリプル・エクラン(三面スクリーン)
が誕生したのです。
さらに驚いたことに
実際に本編には使われなかったが
カラー撮影や3D撮影まで
行っていたとか
(ホントかよ)
のちに
「ナポレオン」の復活に精魂を傾けた
イギリスの映画監督
ケヴィン・ブラウンローは
こう言っています。
映画の視覚的表現方法は、
いまだに「ナポレオン」より
一歩も遠くに行っていない。
この映画は映画的効果の百科事典だ。
一人の天才の手によって、
サイレント映画に可能なことの
すべてを陳列して見せた、
絢爛豪華な大展覧会だ
そう
フランス映画黄金期でもアベル・ガンスの
この映画はひときわ輝いていたのです。
埋もれた傑作映画「ナポレオン」
この映画、
パリのオペラ座で
初公開され時(1927年)には
絶賛され
ヨーロッパの八都市でも公開。
この時は250分版(4時間10分)でした。
ところが、
アメリカでは80分(1時間20分)
に短縮したもので
しかも、
スタンダード版
(画面比率が4:3の基本サイズ)
で公開。
興行的に失敗しました。
私が見たのが235分版(3時間55分)で
それでも、
あれだけ内容が盛りだくさんなので
80分に短縮したものは、たぶん、
見た人は何が何だか解らないでしょうね。
しかも、目玉の”トリプル・エクラン”が
ないんじゃ、もう、
麺が入ってないラーメンみたいなものですよ。
酷いね~。
ちなみに
日本は単館で17.5ミリ版
(スタンダードな映画の規格である
「35mmフィルム」のちょうど半分のサイズ)
でひっそりと公開したそうです。
アベル・ガンスは
この映像表現の究極をきわめた
「ナポレオン」が
埋もれた作品で
終わらせるわけにはいかないので
俳優全員に吹き込み録音をさせ
サウンド版(トーキー映画)にして
追加撮影をしたものを発表。
それが
1935年作
「ナポレオン・ボナパルト」
(2時間20分)
1955年作
「ナポレオン・ボナパルト」
(2時間15分)
1971年作
「ボナパルトと革命」
(4時間35分)と
3度も作り直して公開しました。
でも、所詮つなぎ合わせたもの
声(セリフ)を入れたことで
間延びはするし、
追加撮影は元の作品とあわないし、
これは見なくても(考えただけで)
本来の良さが失っている作品とわかります。
また
アベル・ガンスは
「ナポレオン」(1927作)の続編として
1960年に
「ナポレオン/アウステルリッツの戦い 」
という映画も作っています。
この映画は
オーソン・ウェルズなど
各国のスターを起用した
豪華キャスティングによって描いた3時間もの
でも、日本劇場未公開作品なんです。
結局
この映画「ナポレオン」は
埋もれた作品になってしまいました。
1971年の
「ボナパルトと革命」以降
アベル・ガンスは映画を作らなくなりました。
そして
アベル・ガンスの名も
映画史から消えていくのです。
映画人は「ナポレオン」の影響を受けていた
埋もれた作品になった「ナポレオン」
でも、
映画人には多大な影響を与えていたのです。
「ナポレオン」を見た
アンリ・クリティアン教授は
1台のカメラで広い画面を撮る
レンズの開発をしました。
イペルゴナールです。
第1作「火をおこすために」(28)は
興行主による圧力で上映禁止になりました。
このときの監督は
『肉体の悪魔』『赤と黒』の
クロード・オータン=ララです。
のちに20世紀フォックスは
クレチアン教授の特許を買いあげ、
1953年にシネマスコープとなって
『聖衣』を公開しました。
また
「ナポレオン」に
匹敵する大作を作って欲しいと
デンマークから招かれた
カール・ドライヤー監督 は、
ジャンヌ・ダークの伝記映画
「裁かるるジャンヌ」(28)を発表。
さらに
「ナポレオン」を見た
フランシス・コッポラ監督が、
クロード・ルルーシュ監督から
配給権を買いとり、
ケヴィン・ブラウンロー監督とともに
アベル・ガンス自身の協力を得て復元し、
自ら率いるスタジオで配給。
父カーマイン・コッポラに
作曲とフルオーケストラの指揮を依頼して
1981年、
ニューヨークの
ラジオ・シティ・ミュージック・ホールにて
オーケストラの生演奏つきで上映会が行われました。
(もちろんコッポラの父が指揮してます)
上映会は大成功
鳴りやまぬ拍手喝采の声を
国際電話で聞いた病床のアベル・ガンスは
「やっと…」とつぶやいたのです。
アベル・ガンスは
この年の11月に92歳で他界しました。
アベル・ガンスの「ナポレオン」は
世界各都市で公開され、
日本でも公開しました。
(黒澤明監督が監修してます)
この時は、
オリジナル版に近づけた3時間55分版です。
(私が見たのもこれです。)
多くの映画人に影響を与え
愛されていた映画「ナポレオン」
彼らのおかげで
こんな素晴らしい映画と出会えたこと、
また、数少ない
アベル・ガンス作品が見れたことに
感謝しています。
予告編2
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