1225年
洞山十三世の
如浄(にょじょう)に出会う
![曹洞宗_道元の正法眼藏と只管打坐、即心是仏とは]()
如浄(にょじょう)こそが
求めていた正師であることを知り、
如浄(にょじょう)に師事、
3年間の修行をへてその法を嗣(つ)いだ
1227年
宋(そう)から帰国した道元は、
京都の建仁寺に入り、
『普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)』を著し、
「坐禅こそ安楽の法門である」と説いた。
1234年に山城国深草
興聖寺(宝林寺(ほうりんじ))を開創。
『弁道話(べんどうわ)』
(『正法眼蔵』の序章)を著して、
”達磨禅(だるまぜん)”の
真風と”曹洞禅”の真髄を宣揚した。
これがすなわち、日本の”曹洞宗”の始まりである。
興聖寺(こうしょうじ)における道元は
『正法眼蔵』の執筆を続ける傍ら、
訪れる僧俗を教化した。
1244年
越前に下り、永平寺(えいへいじ)を開山、
ここを曹洞宗の根本道場と定め、
生涯にわたって権勢や名利に近づかず、
『正法眼蔵』を執筆、
「只管打坐」(ひたすら坐禅をすること)を説き続けた