【葉隠】武士道とは死ぬことを見つけたりとは”心の浄化”

「葉隠れ」の冒頭に

「武士道とは死ぬことを見つけたり」
と書いてあります。

 

しかし、
これは死ぬことの美学ではありません。

 

「日本武士道史」森川哲郎著によると

“死ぬ”ということは、
私心の死、私欲の死を意味したものである。

 と書いてあります。

 

【私心】・・
自分の利益だけを考える心、自分一人の考え

【私欲】・・
自分の利益だけをむさぼる心

 

私心、私欲が死ぬとどうなるのか?

 

それは心が純粋になります。

【純粋】・・
混じりけないこと、邪念が全くないこと

 

人間は自己中心的な存在です。

個人そのものが、
他との摩擦、対立、
影響、交流の中に発生する。

精神作用、心理現象のすべてが、
他なくしては発生し得ないのである。
他を純粋に愛する感情の中に、
悦びを見出さないものはない。

「日本武士道史」森川哲郎著より

他とは別に人間とは限りません。

芸術やスポーツでも同じです。

始めるキッカケは純粋だったと思います。

絵を描き始めた時

スポーツに夢中になった時

初めて好きになった人と出会った時

この瞬間は幸せだと思います。

ところが、
野心やつまらない損得勘定が出てきて
疑心や不安が芽生えると結局不幸になります。

ではどうすれば私心・私欲を死ぬことが出来るのでしょうか?

どうやら、

この「四誓願」を仕様しているそうです。

一、武士道に於ておくれ取り申すまじき事。
一、主君の御用に立つべき事。
一、親の孝行仕るべき事。
一、大慈悲を起こし人の為になるべき事。

此の四誓願を毎朝、仏神に念じ候へば、
二人力になりて、
後へはしざらぬものなり。

尺取蟲しゃくとりむしのように、
少しづつ先へにじり申すものに候。
仏神も先づ誓願を起し給ふなり

なるほど「四誓願」の一つ目はおいといて
二つ目の”主君”のところを”社会”に変えて
社会の御用に立つべき事にしたら
残りの三誓願は現代でも通用します。

この「三誓願」はなかなか出来ないけれど

焦ることはありません。

尺取蟲しゃくとりむしのように、
少しづつ先へにじり申すものに候。

と書いてあるように、

毎日意識すれば少しづつ身につきます。

毎日「三誓願」を心得れば、
人間関係や社会にストレスを
感じることがなくなり、物事に集中出来、
智慧が出てくる。

私も心を曇りなく浄化する努力をしようと思います。

 

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