ソクラテスは、
「哲学の父」と呼ばれ、
ソフィア(知恵)とフィロス(愛する)
からなる
フィロソフィー(哲学)を
命名した本人です。
つまり、
哲学のすべては彼から始まったのです。
ソクラテスは
対話を通して質問を繰り返し、
真理に導く「門答法」や
無知であることを認め、
さらに知ろうとして知の探究し尽くす
「無知の知」などで
哲学の手法を確立した
偉大な人物です。
その彼が、
自身の哲学で若者たちを堕落させたという
ばかげた罪状で死刑の宣告を受けてしまいました。
この絵は、
ソクラテスが
当時の死刑(毒杯をあおって死ぬ)で
亡くなる直前を描いています。
ソクラテスの弟子で
哲学者のプラトンは、
牢獄での最後の日のことをこう述べています。
彼は感情あらわに嘆き悲しむ
弟子たちを戒めたあと、
毒杯をあおって
威厳ある死を遂げた。
この「ソクラテスの死」
を描いた絵画は
他にもあります。
イタリアの画家
ジャンベッティーノ・チニャローニが
描いた「ソクラテスの死」は、
ソクラテスは亡くなり
弟子たちが嘆いでいます。
また、フランスの画家
ジャック=フィリップ=ジョセフ・ド・サン=カンタンは
毒杯を飲んで亡くなる瞬間を描いています。
2つとも悲劇を描いています。
しかも、イエスキリストの死を
思わせるようなバロック調です。
ところが
ダヴィッドの絵は違います。
もちろん周りの弟子たちは悲しんでいますが、
ソクラテスは、
右手で今、毒杯をとろうとしていて、
左手を上に向けて
人差し指で天を指しています。
実は
ソクラテスにとって、
死刑を免れることも出来たのです。
プラトンら弟子達によって
亡命も可能だったし、
牢番に、
わずかな金額を渡すだけで
脱獄も出来たのです。
でも、
自身の知への愛と
「単に生きるのではなく、善く生きる」
という意志を貫き、
票決に反して亡命するという
不正を行なうよりも、
死を選んだとされています。
左手の人差し指が天を指しているのは
その理想(イデア)なのでしょうか?
あのラファエロの《アテネの学堂》を
思い浮かびます。
(あの指差しは弟子のプラトンでしたが)
実はダヴィッドにとって
ラファエロは
神々しい人
と
たたえるほど感嘆し
手本としていたのです。
また
この絵も
人物を水平線と垂直線を
強調した配置にして、
左右対称のバランスの取れた
構図にしています。
そして、
大理石の
浅浮き彫り(ローレリーフ)で
人物が何層にも重なる
表現にしました。
そう、まさに
新古典主義絵画ですね。
ロイヤル・アカデミー初代会長の
ジョシュア・レノルズは、
ミケランジェロの
システィナネ礼拝堂天丼画と
ラファエロの
ヴァチカン宮殿居室壁画と
比較しても、
この作品は
あらゆる意味で完壁だ
と評しています。
ところが
この絵には
もう一つの見方があります。
それは、
合法的な裁判で下された
裁定である以上、
評決に甘んじる道を選ぶ。
道徳的な自己犠牲を主題にした
とのことです。
これは、
制作当時の絶対王政に
照らして構想され、
いかなる個人の事情よりも
国家への義務を優先させるべきだという
思想を体現していたというのです。
こうして見ますと
新古典主義絵画は、
絶対王政の プロパガンダとして
利用されていたんですね。
それでも
この作品の2年後に
”フランス革命”がおこりましたね。