遥かなる慕情・星のフラメンコ_西郷輝彦のヒット曲の映画化

西郷輝彦が亡くなりましたね。

私個人としては、
何と言っても、
NHKの大河ドラマ「独眼竜政宗」
片倉小十郎(片倉景綱)が、
なんとも良かったですね~。

遥かなる慕情・星のフラメンコ_西郷輝彦のヒット曲の映画化最高でした。遥かなる慕情・星のフラメンコ_西郷輝彦のヒット曲の映画化

だから、
西郷輝彦
橋幸夫・舟木一夫と共に
昭和歌謡の「御三家」!
その1人だったなんて
遥かなる慕情・星のフラメンコ_西郷輝彦のヒット曲の映画化知りませんでした。

そして
西郷輝彦のヒット曲
星のフラメンコ」も、
ニュースではじめて
知りました。

30万枚も売り上げ、
フラメンコの本場である
スペインの歌手
ライートが
自身のアルバムで、
この歌をカバーしたそうです。
凄いですね~。

そんな、
西郷輝彦の名曲
星のフラメンコ」が
日活によって映画化されてました。

さあ、どんな映画なのでしょう遥かなる慕情・星のフラメンコ_西郷輝彦のヒット曲の映画化

遥かなる慕情・星のフラメンコ_西郷輝彦のヒット曲の映画化驚いたことに、、、

フラメンコに関わる内容ではなく、、、
スペインにも行かなかった。
しかし、
海外でロケしたんです。

 

その場所は

台湾!

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なんで台湾

 

それは
台湾で生まれた
日本人の主人公が、
母親と別れて
父と妹と一緒に日本に帰国
数年後、父親は亡くなり、
さらに数年後
妹の結婚をきっかけに
生きているか、死んでいるのか
わからない母親を探すために
台湾へ旅経ちます。
映画は、そこからはじまるのです。

台湾は、
日清戦争後の
1895年(明治28年)から
第二次世界大戦後の
1945年(昭和20年)まで
50年
日本が統治していました。

この映画の
主人公たち(父と妹)は
その第二次世界大戦後に
日本に帰国したのでしょう。
ある、事情で母親だけが台湾に残ることになった。

さあ、
母親探しで台湾に着きました
なんと言っても見どころは、
この当時の台湾の景色
戦後20年の台湾!
これだけでも
貴重なフィルムですね。
なんと
30歳以上の台湾人は
日本語が話せたそうです。

でも、
台湾人は日本人のことを憎んでいます。

それでも
過去に犯した罪より、
今の関係を大事にする。
という主人公の気持ちと
罪から出来たお金に頼らない
台湾娘の心には
心打たれました。

そして、母親の願い。
・・・・
1966年当時では、
感動するのかもしれないけど…
現在の台湾を見ると、
なんとも、虚しさを感じるね。
複雑だわ~。。。

と言うことで!
星のフラメンコ」は
オープニングとエンディングに
出てくるだけで、
内容は、まったく別物でした。

それにしても、
ヒロインの汪玲おうれい
カワイイ~かったね
松原智恵子も出ていたけど、
汪玲おうれいの方が良かったね!

 

あらすじ

商船学校の学生である英司は、
夏休みを迎えると
すぐに東京に住む妹・チノの元へ飛んで帰った。

この兄妹は二十年前に台湾で生まれたが、
数年後には母を残して日本へ上陸、
間もなく父も失って今は家族二人きりだった。

「母はきっとどこかで生きている…」
二人はそんな淡い希望をもって日々生活していた。
そんなある日、チノの婚約者であり、
英司の先輩で憧れの存在でもある
ボート船員・哲の計らいで、
台湾行きの次の一航海を英司が任されることになった。

日活サイト》より

Data

1966年 日活
監督 森永健次郎
出演 西郷輝彦
汪玲
松原智恵子

 

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