アポロンの地獄&パゾリーニの物語(中編)

前回は、この映画が
「オイデップス王」の物語で
そこに、パゾリーニ監督は
“エディプス・コンプレックス”
取り入れて映画化した。
という話でした。

でも、
映画の後半を見ていると
どうも違う、
話は終わっているのに
物語は続いていて
1960年代観光地工場地帯
生まれた場所野原と展開していく、、、

その意味が
さっぱり解らない!
そこで終わりましたね。

 

このままでは
納得がいかない

特に気になるのが
笛のメロディー
観光地工場地帯
吹くメロディーが違うんです。
特に工場地帯
吹くメロディー
なんか、
心に刺さるんですよね~

かお感情と言うことは
この笛のメロディー
何やら監督のメッセージ
込められているはず。。

そこで、まず
パゾリーニ監督は、ここまで
どう歩んできたかを見てみましょう。

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パゾリーニの生い立ち

ピエル・パオロ・パゾリーニ
1922年
イタリア・ボローニャで生まれます。


カルロ・アルベルト・パゾリーニ
ファシストの軍人です。

スザンナ・コルッシ
映画『奇跡の丘』で
顔出ししていましたね。
彼女は小学校の教師をしていました。

父のカルロ
古代ローマ時代から
中世にかけて繁栄した都市、
ラヴェンナの古い貴族の末裔まつえいです。

祖父の代には
ボローニャに土地を保有していました。
しかし、
祖父が早く亡くなり、
まだ子供だったカルロ
財産を相続しましたが
数年で使い切って無一文同様になり
ファシストの軍人になったそうです。

カルロスザンナを見て恋に落ち
一方的に恋を実らせてしまったみたいです。
それで生まれたのが
ピエル・パオロ・パゾリーニです。

ピエルの少年時代は
転々とした生活を送っていました
それはカルロ
歩兵隊士官だったため
1年おきに転勤をしていたからです。

家の中では
仲が悪く
カルロ
大酒呑みで暴君のように
振舞っていました。
ピエル
スザンナにべったりとなり
母親の影響を受けて
7歳で詩作を書きはじめます。

1939年
ピエルはボローニャ大学に入学。
「文学」と「美術史」を専攻します。

第二次世界大戦になると
ピエルスザンナと二人で
母の故郷フリウリ地方カザルサ
に移住します。

1942年
フリウリ語の方言で執筆した
『カザルサ詩集』を自費出版
その詩が高く評価されます。
この時、カルロ
エチオピアで捕虜になります。

終戦後の1947年
ピエルイタリア共産党入党
彼は自分の立場を
新聞「リベッタ」にて
こう表明しました。

パゾリーニ

私見では、
現在においては
共産主義のみが、
新たな文化を
提供できる
と考えている

1949年

ピエルは未成年へのわいせつ行為で
告発され、共産党を除名
とともにローマに移り、
金銭的にも苦しい生活が続き、
自殺を考えることもあったそうです。

 

とりあえず、

ここまで見てみました。

ん~、
かおこれを見ると
やはり
“エディプス・コンプレックス”
かな~
にく
していた
みたいですね。

では、
今度は
映画の本編に戻りましょう
今回は参考資料として
花野秀男訳の
『パゾリーニによるオイディプース王』
を見ながら検証してみましょう。

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王宮前の広場

まず、1960年代に戻る
前のシーン
オイデップス王物語のラストからです。

45 王宮前の広場

オイディプース
こうすればもう悪を見ないで済む……
わたしが苦しんだ、仕出かした悪を……
闇のなかでは、いまでは、
見るべきでないものを見ることはない……
わたしが識ろうとしていた人びとを
識ることはもうないだろう……

(中略)~

あの下のほうで……
オイディプースがフルートを
唇にもってゆく……
そして最初の音を出す……
そしてそれから第二の音を……
そして少年が、後ろから、
彼を励ましている……

そしていまオイディプースが吹く、
──盲た乞食、預言者が──
なおたどたどしくあどけなく、
あるメロディーを、
その幼年時代のメロディーを、
テイレシアースの神秘的な
愛の歌のメロディーを、
宿命の前であり後である
あのメロディーを。

埃だらけの街道の奥に、
遠く二人の姿は見えなくなる。

『パゾリーニによるオイディプース王』花野秀男訳

 

ん~、
映画だと縦笛なんだけど
シナリオだとフルートになっているな~
でも一説によれば
フルートといえば
縦笛だったみたいです矢印
昔はフルートと言えば縦笛だった!?

まあ
それはともかく
やはり
ここで肝心なのは
メロディーだね

とくに
幼年時代のメロディー

宿命の前であり後である
あのメロディー
この2つがポイントだね

まず
宿命の前であり後である
あのメロディー
ですが
”宿命”
と書いてありますね。

実は
「オイデップス王」には
“エディプス・コンプレックス”
以外のテーマが
いくつかあります。

その1つが
この宿命です。
"逃れられない宿命"
が描かれています。

我が子に殺されるという
宿命を避けるために、
その子を殺すよう命じた
テーバイ王のラーイオス

そして
父殺しという
宿命を避けようと、

育ての親から離れ
放浪の旅に出る

オイディプス

でも
結局、
宿命から逃れることは
できませんでした。

 

もう1つのテーマは
”知るということの意味”です。
父親殺しを追及した結果
不幸が訪れましたね。
人間には知的探求心があります。
これは本能なのでどうしようもない。
でも、
知りすぎたことで
不幸になることの方が多いかも。。。

「オイデップス王」では
知るということの1つに
”自分探し”があります。
自分は何者なのか?
何のために自分は生まれたのか?
これが
シナリオの
幼年時代のメロディー
にかかりますね。

 

さあ
このシーンで
「オイデップス王」
物語は終わります。

そして
パゾリーニ
“エディプス・コンプレックス”
終わる

このあとは
パゾリーニ
幼年時代のメロディー

宿命の前であり後である
あのメロディー
そう!
自分探しの旅が始まるのです。

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観光地

 

46 広場

歴史と文明の徴のある大きな広場がある。

~(中略)~

それはブルジョア階級が
その習慣を祝って、
その偉大さに思いを凝らす場所のひとつだ

~(中略)~

オイディプースとその若い導き手は、
脇の道からやって来てそこに、
暮らしの渦巻きの埒外の、
いくらか外れたその場所に着く。

オイディプースは腰を下ろして、
髪は長く伸びて手入れをしない
髭は埃まみれの老いた乞食や
預言者のなりで、
そのフルートを吹き鳴らす。

メロディーはブルジョアの
イタリア統一運動か
(それとも革命運動か?)の、
自由のための闘いの歌のメロディーだ。

~(中略)~

人類がその怠惰と息切れと一緒に、
その宿命的な歩みをまた見出す
何千時間ものうちの
一時間である時の出来事、
仕草、足取り、眼差したち。

~(中略)~

そしてその間もオイディプースは
そのフルートにあのメロディーを
そっと吹き込む、
するとその調べが、
彼のまわりのすべての事物に、
歴史のあの甘美なざわめきに、
意味を与える。

やがて、突然、吹くのを止める、
まるである思考によって、
直ちに息を切らせながら
実現せねばならないある考えによって、
呼び戻されたかのように。
彼は手探りで進みながら、
せっかちにじれったがって
その案内役を探す。

『パゾリーニによるオイディプース王』花野秀男訳

 

1960年代
観光地でのシーンですね。
イタリア王国
名残でもあります。

さあ!
ここで吹いていた
メロディー
イタリア統一運動
自由のための闘いの歌のメロディー
だったんですね。

イタリア統一運動とは
何でしょう?

イタリア半島は
19世紀の初頭まで
イタリア人のサルデーニャ王国
オーストリア帝国領(北イタリア)
ナポレオンのフランス軍駐屯地
(中部イタリア・教皇国家)
ノルマン人などの両シチリア王国
(南イタリア、シチリア島)
など8~12カ国が分立していました。
アポロンの地獄&パゾリーニの物語(中編)
それを
イタリア人である
サルデーニャ王国
イタリア半島を占領し
イタリア王国を成立したのが
イタリア統一運動です。

 

 

パゾリーニが生まれて

成長していく思春期は
まだ
イタリア王国
だったんですね。

古い貴族の末裔まつえいであった
パゾリーニ
やはり、
そこにこだわる
のです。

アポロンの地獄&パゾリーニの物語(中編)

私の生れは明らかに、
プチブルジョワ的
イタリア社会の典型です。
私はイタリア統一の産物なんです。
父がロマーニャ出の古い家柄に
属していたのに対して、
母は後にプチブルジョワになった
フリウリ地方の農家の出身です。
母方の祖父は酒造家でしたが、
祖母はピエモンテの人で、
シチリア人やローマ人に
親戚がありました。
だから私のなかには
イタリアのいろんな階級や
階層の要素が入り混じっています。
しかし
私が強調したいのは
父が貴族出身にもかかわらず
イタリアのプチブルジョワだと
いうことです。
ジョン・ハリディ著
「パゾリーニとの対話」より

 

プチブルジョワとは、
中産階級のことです。

中産階級とは
資本主義社会の中で、
資本家階級(ブルジョア)でもなく
労働者階級(プロレアリア)でもなく
その中間にある階級です。
日本だと
上流階級と労働者階級の
間の中流階級
と言った方が
わかりやすいかも?

 

物語に戻ります。

 

貴族の末裔まつえいであった
パゾリーニオイデップス
その
イタリア王国の跡地で
たたずみます。

しかし、
そこは
資本家階級(ブルジョア)が集まる
観光地になっているのです。
当時は金持ちしか
観光旅行できなかったので・・・

ここにいると
貴族の末裔まつえいより
プチブルジョワ 中産階級
である自分を
思い知らされるのです。

いずらくなった
パゾリーニオイデップス
自分のやるべき場所を探し
移動します。

工場地帯

47 郊外の工場街

巨大で、平たく、軽い、
工場という工場が
北国の晴れた朝の
くすんだ地平線全部を占めている。

~(中略)~

あそこに、工員たちが工場へ
行きながら通るあの場所に、
オイディプースと
彼を導く少年が向かっている。

彼らはそこに腰を下ろす。
そしてオイディプースが
そのフルートに息を吹き込む。

こんどはメロディーは
民衆の蜂起、
パルチザン闘争の歌のメロディーだ。
するとそれが、
不可解にも感動的なことに、
辺りのものすべてに
ひとつの意味を与えるように見える。
労働者たちの通過に、
遠く近くの交通に、
あの遠いバス停で
バスを待つ民衆の人びとの群れに。

~(中略)~

オイディプースはそのフルートで、
こうしたことの意味である
あの曲を吹くことに夢中で、
われを忘れている。

溶暗。

『パゾリーニによるオイディプース王』花野秀男訳

 

工場地帯ですね。
ここで吹く
メロディーアポロンの地獄&パゾリーニの物語(中編)
民衆の蜂起、
パルチザン闘争の歌のメロディー
とシナリオでは
書いてありますが
映画では、
違っていましたね。

このシーンで
吹かれたメロディーアポロンの地獄&パゾリーニの物語(中編)
『同志は倒れぬ』です。
ロシアのマルクス主義者・革命家
葬送曲レクイエムです。

かつて
パゾリーニ
共産党入党していました。

パゾリーニ

共産主義のみが、
新たな文化を提供できる

と考えて。。。

 

共産主義とは
簡単に言うと
土地や資本や財産をすべて
国民のものとし
国民全員に均等に分配することで
みんなで共有する
平等な社会体制をめざすものです。

この共産主義
主として
ドイツ
カール・マルクス
フリードリヒ・エンゲルス
によって
体系づけられた
マルクス主義思想をさし、
プロレタリア革命によって
実現される人類史の発展の
最終段階としての社会体制なのです。

マルクス主義思想では、
資本主義
資本を持っている人が
とみを独占して、
人々の間に
貧富ひんぷの格差が生まれる
と考えていました。

 

だからパゾリーニ
共産主義を目指したのです。

ところが、
共産党を除名させられた。。。
そして、目の前では
資本主義を現す工場地帯

『同志は倒れぬ』
失った理想へのレクイエム

その歌詞は

正義にもゆる戦いに
おおしき君はたおれぬ
血にけがれたる敵の手に
君は戦いたおれぬ
プロレタリアの旗のため
プロレタリアの旗のため
踏みにじられし民衆に
命を君は捧げぬ

 

んっ、
いまいちピンとこないな~

実は、この歌詞は
小野宮吉さん
書いた日本語版のもので

本場、ロシアの歌詞は
こうです。

悲運の闘いにたおれたる君よ
人々への無私の愛に散った君よ
君はあたうかぎりの すべてを捧げた
栄光といのちと自由のために
ときに湿しめった監獄の闇に耐え
無慈悲な法の裁きをしのび
ときに迫害者たちの悪罵あくばを浴びて
足枷あしかせくさり 引いていった君よ

この曲が工場で働く
労働者階級(プロレアリア)
映像とあわさって
なんとも言えない。

当時のイタリアでは
アメリカ型の消費社会
台頭し始めた時代に
なっていました。

消費社会(消費主義)とは
資本主義が発達し、
企業のシステム化が進むと共に、
ほぼ全ての国民が、
企業が供給する商品を
不必要だったものを必要なもの」
として消費者の購買意欲をそそること
(TV-CMや新聞広告等のメディア)
によって、享受きょうじゅできる
社会することです。

不必要だったものとは
人間が生きていくために
最低限必要なもの(衣・食・住)
以外のものです。

例えば
アルコールやゲームは
人間が生きていくうえで
最低限必要なものではなかったはず
でも快楽を知ったことで
生きていくうえで
(ストレス発散などで)
必要なものになってしまった。。。

 

パゾリーニ

そんな消費社会
1960年代後期から急速に
イタリアの社会を破壊した
元凶と考えています。
そして、
産業化(ブルジョア化)する
以前の文化を

「純潔さ」と見ており、
それが
次々に失われている

感じていたのです。

また
1960年代後半から
1970年代初頭にかけて、
イタリアでは
学生運動が激化します。

その内容とは
核兵器反対、ベトナム戦争反対
などありますが
主に
資本主義に反対する動きでした。

しかし
パゾリーニ
学生運動に対して

パゾリーニ

パゾリーニ

彼らは
人類学的に
中産階級であり、
革命的な試みには
失敗する
運命にある

と考えていました。

 

そうです。

運命

つまり
宿命
なのです。

パゾリーニ
宿命から
逃れることが
出来ないのです。

そして
我々われわれ
資本主義から
脱却できない
宿命なのです。

何とも言えない
感情が
こみあがってきた
彼は
この工場地帯にも
いられなくなります。

そして
次なる場所へ移動します。

いよいよ
ラストシーン

ところが
そのラストシーン
意外な場所だった!

話が長くなりましたので
この話の続きは次回

 

 

 

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